・・・荒廃と寂寞――どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷との上に動いているような気がする。案内者が「赤沢の小屋ってなアあれですあ」と言う。自分たちの立っている所より少し低い所にくく・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・そして、有妻の男子が他の女と通ずる事を罪悪とし、背倫の行為とし、唾棄すべき事として秋毫寛すなき従来の道徳を、無理であり、苛酷であり、自然に背くものと感じ、本来男女の関係は全く自由なものであるという原始的事実に論拠して、従来の道徳に何処までも・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 瞬間の幻視である。手提はすぐ分った。が、この荒寺、思いのほか、陰寂な無人の僻地で――頼もう――を我が耳で聞返したほどであったから。……私の隣の松さんは、熊野へ参ると、髪結うて、熊野の道で日が暮れて、あと見りゃ怖しい、先・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・神と天然とが示すある適当の方法をもってしますれば、この最悪の状態においてある土地をも元始の沃饒に返すことができます。まことに詩人シラーのいいしがごとく、天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見るのであります。 ま・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ しかし、眼前の社会においても、甚だ原始的なる子供の本能と酷似した、残忍性のあるのを発見します。即ち、生き得る条件の下に置かれざる者にも、一律的に消費の義務をはたさせようとするが如き、これです。たとえば、失業者及びこれと近い生活をする者・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・私は原始キリスト教の精神というものが決して今日の職業化した街頭のキリスト教とは思っていない。本当に原始キリスト教の精神を尚お伝え得るものならば、今日のキリスト教は斯くまでに堕落はしていないだろう。三 早い話が原始キリスト教の精神・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・フランスのように人間の可能性を描く近代小説が爛熟期に達している国で、サルトルが極度に追究された人間の可能性を、一度原始状態にひき戻して、精神や観念のヴェールをかぶらぬ肉体を肉体として描くことを、人間の可能性を追究する新しい出発点としたことは・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 例えば、広島に原子爆弾が出現した時、政府とそして政府の宣伝係の新聞は、新型爆弾怖るるに足らずという、あらぬことを口走っている。そしてこれを信じていた長崎の哀れな人々は、八月二十日を待たずに死んで行ったではないか。 原子爆弾と前後し・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・常に原始的な切ったり、はったり、殺し合いをやったりする、ロマンティックなことばかりを書いている。どんなことでも、かまわずにさっさと書いて行く、冷たい態度が僕はすきだった。燐光を放っている。短篇を書くならメリメのような短篇を書きたい、よく、そ・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・熊のいる原始林を伐り開いて鉄道を敷設した。――だが、雪が降ると、それ等の仕事が出来なくなる。彼等は用がなくなるのだ。そうなると、汽車賃もくれないで、オツぽり出される。小樽や函館へ出てくるのはこういう人達なのだ。 雪の国の停車場は人の心を・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
出典:青空文庫