・・・けっして彼らの人生観の高下を示すものではない。大人だからえらい。えらい見方をして人事に対するのが写生文家だと云う意義に解釈されては余の本旨に背く。えらい、えらくないは問題外である。ただ彼らの態度がこうだと云うまでに過ぎぬ。 この故に写生・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・この国では衣服では人の高下が分らない。牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロックコートなどを着て澄している。しかし一般に人気が善い。我輩などを捕えて悪口をついたり罵ったりするものは一人もおらん。ふり向いても見ない。当地では万事鷹揚に平・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・お熊は泣く泣く箕輪の無縁寺に葬むり、小万はお梅をやっては、七月七日の香華を手向けさせた。 広津柳浪 「今戸心中」
・・・一、学費は物価の高下によりて定め難し。されどもまず米の相場を一両に一斗と見込み、この割合にすれば、たとい塾中におるも外に旅宿するも、一ヶ月金六両にて、月俸、月金、結髪、入湯、筆紙の料、洗濯の賃までも払うて不自由なかるべし。ただし飲酒・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・感激の強度と、批評的価値の高下とは綿密に考えられなければならないものではございますまいか。 けれども、私共は先ず、此の催眠させられる程烈しく湧き上る憧憬は、如何なる背景をその後に持って居るか考えなければなりません。其程の恍惚の歓びは、何・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・は、あらゆるところで、女は夫に仕えて云々という表現をしているのだが、福沢諭吉の開化の心は、主従関係、身分の高下をあらわしたそういう表現が夫婦の間にあることに耐え得ない。「我輩の断じて許さざるところなり」「婦人をして柔和忍辱の此頂上にまで至ら・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・この間るんは給料の中から松泉寺へ金を納めて、美濃部家の墓に香華を絶やさなかった。 隠居を許された時、るんは一旦笠原方へ引き取ったが、間もなく故郷の安房へ帰った。当時の朝夷郡真門村で、今の安房郡江見村である。 その翌年の文化六年に、越・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・従って味の高下や品格などについては決して妥協を許さない明確な標準があったように思われる。外見の柔らかさにかかわらず首っ骨の硬い人であったのはそのゆえであろう。 何かのおりに、どうして京都大学を早くやめられたか、と先生に質問したことがある・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫