・・・今宵適カツフヱーノ女給仕人ノ中絃妓ノ後身アルヲ聞キ慨然トシテ悟ル所アリ。乃鉛筆ヲ嘗メテ備忘ノ記ヲ作リ以テ自ラ平生ノ非ヲ戒ムト云。」 僕が文壇の諸友と平生会談の場所と定めて置いた或カッフェーにお民という女がいた。僕が書肆博文館から版権侵害・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 然らばすなわち全国学問の事においても、教育の針路を定めて後進の学生を導き、文を教え芸学を授くる者は、必ず少年の時より身みずから教育を受けて、また他人を教育し、教場実際の経験ある者にして、はじめてその任にあたるべし。すなわち学者をして学・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ いわゆる洋学校は人を導くべき人才を育する場所なれば、もっぱら洋書を研究し、難字をも読み、難文をも翻訳して、後進の便利を達すべきなり。方今の有様にては、読書家も少なく翻訳書もはなはだ乏しければ、国内一般に風化を及ぼすは、三、五年の事・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・一国の教育とは、有志有力にして世の中の事を心配する人物が、世間一般の有様を察して教育の大意方向を定め、以て普く後進の少年を導くことなり。 父母の職分は、子を生んでこれに衣食を与うるのみにては、未だその半ばをも尽したるものにあらず。これを・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ 余をもって今の第二世の後進生を見れば、余が三十余年前に異なり、社会の事物はすでに文明開進の方向を定めて変化あるべからず。時勢の方向に変化なければ、身の方向を定むるもまた、はなはだ易し。学業を勤むるにも、これを勤めてその行く先は、所得の・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・いわんや天下億万の後進生に向ってこれを責むるにおいてをや。労して功なきのみならず、かえってこれを激するの禍なきを期すべからざるなり。 我が輩は前節において、教育改良の意見を述べ、その主とするところは、天下の公議輿論にしたがいてこれを導き・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・第二には、仮令え不言の間に自ずから区別する所ありとするも、その教えの方法に前後本末を明言せずして、時としては私徳を説き、また時としては公徳を勧め、いずれか前、いずれか後なるを明らかにせざるがために、後進の学者をして方向を誤らしむるにあり。然・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・然り而してその家の私徳なるものは、親子・兄弟姉妹、団欒として相親しみ、父母は慈愛厚くして子は孝心深く、兄弟姉妹相助けて以て父母の心身の労を軽くする等の箇条にして、能くこの私徳を発達せしむるその原因は、家族の起源たる夫婦の間に薫ずる親愛恭敬の・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・洋諸国専制流の慣手段にして、勝氏のごときも斯る専制治風の時代に在らば、或は同様の奇禍に罹りて新政府の諸臣を警しむるの具に供せられたることもあらんなれども、幸にして明治政府には専制の君主なく、政権は維新功臣の手に在りて、その主義とするところ、・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・四月八日 水、今日は実習はなくて学校の行進歌の練習をした。僕らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧しつけられるようであの行進歌はきらいだ。何だかあの歌を歌うと頭が痛くなるような気がする。実習のほうが却っていいく・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫