・・・朦朧とはしながらも、烏帽子の紐を長くむすび下げた物ごしは満更狐狸の変化とも思われない。殊に黄色い紙を張った扇を持っているのが、灯の暗いにも関らず気高くはっきりと眺められた。「翁とは何の翁じゃ。」「おう、翁とばかりでは御合点まいるまい・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしな・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・そして凝り上がるほど肩をそびやかして興奮していた自分を後ろめたく見いだした。父はさらに言葉を続けた。「こんな小さな農場一つをこれだけにするのにも俺しがどれほど苦心をしたかお前は現在見ていたはずだ。いらざる取り越し苦労ばかりすると思うかも・・・ 有島武郎 「親子」
・・・勿論この内にも、狐狸とか他の動物の仕業もあろうが、昔から言伝えの、例の逢魔が時の、九時から十一時、それに丑満つというような嫌な時刻がある、この時刻になると、何だか、人間が居る世界へ、例の別世界の連中が、時々顔を出したがる。昔からこの刻限を利・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ところが、そんな寺田がふとしたことから競馬に凝りだしたのだから、人間というものはなかなか莫迦にならない。 寺田は一代が死んで間もなく史学雑誌の編輯をやめさせられた。看病に追われて怠けていた上、一代が死んだ当座ぽかんとして半月も編輯所へ顔・・・ 織田作之助 「競馬」
火遁巻 千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。 この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・いわば坂田の将棋を見てくれという自信を凝り固めた頑固なまでに我の強い手であったのだ。大阪の人らしい茶目気や芝居気も現れている。近代将棋の合理的な理論よりも我流の融通無碍を信じ、それに頼り、それに憑かれるより外に自分を生かす道を知らなかった人・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ もともと潔癖性の女だったが、宗教に凝り出してからは、ますますそれがひどくなって食事の前に箸の先を五分間も見つめていることがある。一日に何十回も手を洗う。しまいには半時間も掛って洗っているようになり、洗って居間へ戻る途中廊下で人にすれ違・・・ 織田作之助 「世相」
・・・目には土地の天狗番付に針の先で書いたような字で名前が出て、間もなく登勢が女の子を生んだ時は、お、お、お光があってお染がなかったら、の、の、野崎村になれへんさかいにと、子供の名をお染にするというくらいの凝り方で、千代のことは鶴千代と千代萩で呼・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫