・・・いや、むしろ積極的に、彼女が密かに抱いていた希望、――たといいかにはかなくとも、やはり希望には違いない、万一を期する心もちを打ち砕いたのも同様だった。男は道人がほのめかせたように、実際生きていないのであろうか? そう云えば彼女が住んでいた町・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 超世的詩人をもって深く自ら任じ、常に万葉集を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を解得し継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身が、この醜態は情ない。たとい人に見らるるの憂いがないにせよ、余儀な・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・いや、もっと正確を期するなら、一切合財おれが下図を描いたものとすべきだった。 そんな手落ちはあったが、その代りそれに続く一節は、筆者の脚色力はさきの事実の見落しを補って余りあるほど逞しく、筆勢もにわかに鋭い。 ――口に蜜ある者は腹に・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 彼は法難によって殉教することを期する身の、しきりに故郷のことが思われて、清澄を追われて十三年ぶりに故郷の母をかえりみた。父は彼の岩本入蔵中にみまかったのでその墓参をかねての帰省であった。「日蓮此の法門の故に怨まれて死せんこと決定也・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・彼女は、自分の家の地位が低いために、そういう金持の間に伍することが出来ないように、自から、卑下していた。そして、また、実際に、穢いドン百姓の嚊と見下げられていた。 やがて、汽車が着くと、庄屋や、醤油屋や、呉服屋などの坊っちゃん達が降りて・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、「正確を期する事」であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、〈正確を期する事〉であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・そうするのが実行上最も便宜であり、結果においても比較的公平を期することが出来るであろう。 こんな工合であるから論文の価値は結局少しも絶対的なものでなく、全く相対的に審査員の如何によって定まる性質のものである。尤も中にはほとんど如何なる審・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・たとえばこれを懐中しているとトランプでもその他の賭博でも必勝を期することができるというのであったらしい。もちろんこの効験は偶然の方則に支配されるのである。「丸葉柳」のほうはどんな物だか、何に使うのか、それについては自分の記憶も知識も全然・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ 予め期するところは既に斯くの如くであった。これに対して失意の憾みの生ずべき筈はない。コールタを流したような真黒な溝の水に沿い、外囲いの間の小径に進入ると、さすがに若葉の下陰青々として苔の色も鮮かに、漂いくる野薔薇の花の香に虻のむらがり・・・ 永井荷風 「百花園」
出典:青空文庫