・・・軽薄才子のよろしき哉。滅茶な失敗のありがたさよ。醜き慾念の尊さよ。 Confiteor 昨年の暮、いたたまらぬ事が、三つも重なって起り、私は、字義どおり尻に火がついた思いで家を飛び出し、湯河原、箱根をあるきまわり、箱・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・しかし、この個人的な経験はおそらく一般的には応用が利かないであろうし、ましてや、科学の神殿を守る祭祀の司になろうと志す人、また科学の階段を登って栄達と権勢の花の山に遊ぼうと望む人達にはあまり参考になりそうに思われないのである。ただ科学の野辺・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・もしもの事があったら老い衰えた両親や妻子はどうなるのだと思うと満身の血潮は一時に頭に漲る。悶え苦しさに覚えず唸り声を出すと、妻は驚いてさし覗いたが急いで勝手の方へ行って氷を取りかえて来た。一時に氷が増してよく冷えると見えて、少し心が落付いた・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・政治と科学 日本では政事を「まつりごと」と言う。政治と祭祀とが密接に結合していたからである。これはおそらく世界共通の現象で、現在でも未開国ではその片影を認めることができるようである。祭祀その他宗教的儀式と連関していろいろの巫術魔術と・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・二、三十年前の風流才子は南国風なあの石の柱と軒の弓形とがその蔭なる江戸生粋の格子戸と御神燈とに対して、如何に不思議な新しい調和を作り出したかを必ず知っていた事であろう。 明治の初年は一方において西洋文明を丁寧に輸入し綺麗に模倣し正直に工・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・このような気儘な一夜を送ることのできるのも、家の中に気がねをしたり、または遠慮をしなければならぬ者のいないがためである。妻子や門生のいないがためである。 午後も三時過ぎてから、ふらりと郊外へ散歩に出る。行先さだめず歩みつづけて、いつか名・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・月給を貰って妻子を養ってる、軍人とは違うんでしょう。貴方は家の相続人ですわ。お国には阿母さんが唯ッた一人、兄さんを楽しみにして待ってらッしゃるでしょう。仙台は仙台で、三歳になる子まである嫂さんがあるでしょう。それだのに、兄さんが万一、』・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したる・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・いかなる才子・達人にても、人に学ばずして自から得たるためしあることを聞かず。教育は全国一般にあまねくすべきものなり。 教育の大切なることかくの如し。国中一般に行届きて、誰れも彼れも学者に仕立たきことなれども、今日の事業において決して行わ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・しき、醜を醜とせずして愧ずるを知らざるのみならず、甚だしきに至りて、その狼藉無状の挙動を目して磊落と称し、赤面の中に自ずから得意の意味を含んで、世間の人もこれを許して問わず、上流社会にてはその人を風流才子と名づけて、人物に一段の趣を添えたる・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫