・・・父をカール・シュミット、母をケーテ・ループといい、娘ケーテの生れた時代のシュミット一家は、ケーニヒスベルクの左官屋の親方として、なかなか大規模の生活を営んでいた。 父親のカール・シュミットという人は、ありふれた左官屋の親方ではなかった。・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・この堂の建設のために、信徒は三十年も応分の寄附を怠らず、或者は子を大工や左官に仕立ててその技を献納したということだ。ゆるやかな坂をのぼった処で、黒服、鍔広帽の外国宣教師が、村の子とふざけて居る。日本人の尼僧がつれ立って、礼拝堂から出て来た。・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・この建物も、始め起工した時から近年完成する迄には数十年を閲し、信徒の中には、自分の息子を大工、左官に仕立てその労力を献じて竣工させたという話も聞いた。御堂の大さは確に、大浦天主堂の数倍あるであろう。合唱台もあるらしかった。けれども、建物がが・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・実は木村も前半生では盛んに戦ったのである。しかしその頃から役人をしているので、議論をすれば著作が出来なかった。復活してからは、下手ながらに著作をしているので、議論なんぞは出来ないのである。 その日の文芸欄にはこんな事が書いてあった。・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・隠居した後も、道を行きつつ古草鞋を拾って帰り、水に洗い日に曝して自らきざみ、出入の左官に与えなどした。しかし伊兵衛は卑吝では無かった。某年に芝泉岳寺で赤穂四十七士の年忌が営まれた時、棉服の老人が墓に詣でて、納所に金百両を寄附し、氏名を告げず・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・そこには佐官以上の室の標札が懸っていた。油の磨きで黒黒とした光沢のある革張りのソファや椅子の中で、大尉の栖方は若若しいというより、少年に見える不似合な童顔をにこにこさせ、梶に慰めを与えようとして骨折っているらしかった。食事のときも、集ってい・・・ 横光利一 「微笑」
・・・仏像は大抵蓮華の上にすわっているし、仏画にも蓮華は盛んに描かれている。仏教の祭儀の時に散らせる華は、蓮華の花びらであった。仏教の経典のうちの最もすぐれた作品は妙法蓮華経であり、その蓮華経は日本人の最も愛読したお経であった。仏教の日本化を最も・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫