・・・ 少くとも、あの、絵看板を畳込んで持っていて、汽車が隧道へ入った、真暗な煙の裡で、颯と化猫が女を噛む血だらけな緋の袴の、真赤な色を投出しそうに考えられた。 で、どこまで一所になるか、……稀有な、妙な事がはじまりそうで、危っかしい中に・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・暗くなる……薄暗い中に、颯と風に煽られて、媚めかしい婦の裙が燃えるのかと思う、あからさまな、真白な大きな腹が、蒼ざめた顔して、宙に倒にぶら下りました。……御存じかも知れません、芳年の月百姿の中の、安達ヶ原、縦絵二枚続の孤家で、店さきには遠慮・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・二三度、四五たび、風に吹廻されて往来した事がある……通魔がすると恐れて、老若、呼吸をひそめたが、あとで聞くと、その晩、斎木の御新造が家を抜出し、町内を彷徨って、疲れ果てた身体を、社の鳥居の柱に、黒髪を颯と乱した衣は鱗の、膚の雪の、電光に真蒼・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ コトコトと下駄の音して、何処まで行くぞ、時雨の脚が颯と通る。あわれ、祖母に導かれて、振袖が、詰袖が、褄を取ったの、裳を引いたの、鼈甲の櫛の照々する、銀の簪の揺々するのが、真白な脛も露わに、友染の花の幻めいて、雨具もなしに、びしゃびしゃ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・侍女 そして、雪のようなお手の指を環に遊ばして、高い処で、青葉の上で、虹の膚へ嵌めるようになさいますと、その指に空の色が透通りまして、紅い玉は、颯と夕日に映って、まったく虹の瞳になって、そして晃々と輝きました。その時でございます。お庭も・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・――そよぐ風よりも、湖の蒼い水が、蘆の葉ごしにすらすらと渡って、おろした荷の、その小魚にも、蕈にも颯とかかる、霜こしの黄茸の風情が忘れられない。皆とは言わぬが、再びこの温泉に遊んだのも、半ばこの蕈に興じたのであった。 ――ほぼ心得た名だ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ ややしばらく、魂が遠くなったように、静としていると思うと、襦袢の緋が颯と冴えて、揺れて、靡いて、蝋に紅い影が透って、口惜いか、悲いか、可哀なんだか、ちらちらと白露を散らして泣く、そら、とろとろと煮えるんだね。嗅ぐさ、お前さん、べろべろ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ その窓を見向いた片頬に、颯と砂埃を捲く影がさして、雑所は眉を顰めた。「この風が、……何か、風……が烈しいから火の用心か。」 と唐突に妙な事を言出した。が、成程、聞く方もその風なれば、さまで不思議とは思わぬ。「いえ、かねてお・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・線の工合などが、目を遮り、胸を蔽うて、年少判事はこの大なる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の爪尖と、杖の端の輝く銀とを心すともなく直視めながら、一歩進み二歩行く内、にわかに颯と暗くなって、風が身に染むので心着けば・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・波の重るような、幾つも幾つも、颯と吹いて、むらむらと位置を乱して、八方へ高くなります。 私はもう、それまでに、幾度もその渦にくるくると巻かれて、大な水の輪に、孑孑虫が引くりかえるような形で、取っては投げられ、掴んでは倒され、捲き上げては・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
出典:青空文庫