・・・ただ馬琴は左母二郎の軽薄※巧で宜しくない者であることを示して居るに反して、他の片々たる作者輩は左母二郎を、意気で野暮でなくって、物がわかった、芸のある、婦人に愛さるべき資格を有して居る、宜しいものとして描いて居るのです。彼の芝居で演じます『・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ 明るいところからなので、視覚がハッキリしなかった。が、電気のようにビリンとそういう衝撃が来た。龍介には見なおせなかった。見なおすよりまず自身を女からかくす、それが第一だった。彼は暗がりへ泥濘をはね越すように、身を寄せた。――が恵子ではなか・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・もしそうであるなら、私にはまだ人生観を論ずる資格はない。なぜならば、私の実行的人生に対する現下の実情は、何らの明確な理想をも帰結をも認め得ていないからである。人生の目的は何であろうか。われらが生の理想とすべきものは何であろうか。少しもわかっ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・やりの、突如活字を大きくしたり、またわざと活字をさかさにしたり、謂わば絵画的手法とでもいったようなものを取りいれた奇妙な作品に、やたらに興じて、「これからは、このような作品を理解できないと、文学を語る資格が無いのだ」というような意味の事を言・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・青春の歌、間抜けの友は調子に乗り、レコオド持ち出し、こは乾杯の歌、勝利の歌、歌え歌わむ、など騒々しきを、夜も更けたり、またの日にこそ、と約した、またの日、ああ、香煙濛々の底、仏間の奥隅、屏風の陰、白き四角の布切れの下、鼻孔には綿、いやはや、・・・ 太宰治 「喝采」
・・・だしぬけに私の視覚が地べたの無限の前方へのひろがりを感じ捕り、私の両足の裏の触覚が地べたの無限の深さを感じ捕り、さっと全身が凍りついて、尻餅ついた。私は火がついたように泣き喚いた。我慢できぬ空腹感。 これらはすべて嘘である。私はただ、雨・・・ 太宰治 「玩具」
・・・ THE HIMAWARI と黄色いロオマ字が書かれてある四角の軒燈の下で、私たちは立ちどまった。女給四人は、薄暗い門口に白い顔を四つ浮かせていた。 私たちは次のような争論をはじめたのである。 ――あまり馬鹿にするなよ。 ―・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ と、娘は恥ずかしそうに顔を赧くして、礼を言った。四角の輪廓をした大きな顔は、さも嬉しそうににこにこと笑って、娘の白い美しい手にその留針を渡した。 「どうもありがとうございました」 と、再びていねいに娘は礼を述べて、そして踵をめ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・それは夢を見る人の眼であって、冷たい打算的なアカデミックな眼でない、普通の視覚の奥に隠れたあるものを見透す詩人創造者の眼である。眼の中には異様な光がある。どうしても自分の心の内部に生活している人の眼である。」「彼が壇上に立つと聴衆はもう・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 一九〇一年、スイス滞在五年の後にチューリヒの公民権を得てやっと公職に就く資格が出来た。同窓の友グロスマンの周旋で特許局の技師となって、そこに一九〇二年から一九〇九年まで勤めていた。彼のような抽象に長じた理論家が極めて卑近な発明の審査を・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫