・・・ そう思うと樋口も木村もどこか似ている性質があるようにも思われますが、それは性質が似ているのか、同じ似たそのころの青年の気風に染んでいたのか、しかと私には判断がつきませんけれども、この二人はとにかくある類似した色を持っていることは確かで・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 蟹田なる鍛冶の夜業の火花闇に散る前を行過ぎんとして立ちどまり、日暮のころ紀州この前を通らざりしかと問えば、気つかざりしと槌持てる若者の一人答えて訝しげなる顔す。こは夜業を妨げぬと笑面作りつ、また急ぎゆけり。右は畑、左は堤の上を一列に老・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・前後はしかと覚えて居らぬが、あわれ、けだものすらだにも、云々というような歌であった。 二十代の心情としては、どうしても、「すらだにも。」といわなければならぬところである。ここまで努めて、すらだにも、と口に出したくなって来るではないか。実・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・惣助は予言者としての太郎の能力をしかと信じた。けれどもそれを村のひとたちに言いふらしてあるくことは控えていた。それは親馬鹿という嘲笑を得たくない心からであろうか。ひょっとすると何かもっと軽はずみな、ひともうけしようという下心からであったかも・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・その堂々たる万年筆を、しかと右手に握って胸を張り、きゅっと口を引き締め、まことに立派な態度で一字一字、はっきり大きく書いてはいるが、惜しい事には、この長兄には、弟妹ほどの物語の才能が無いようである。弟妹たちは、それゆえ此の長兄を少しく、なめ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・の場面に立ちもどってしかとこれを見直してみる。すると前には見えなかった別の扉のようなものがすうと開いて、それをはいって行くと前とはまたまるでちがった風物の花園が眼前に広がって行くのである。そういうことを繰り返していると単なる前句の十七字には・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・そのへんの事はしかとわからぬが、なんでも種々の書物によく目をさらした。小学校にいたころは、昔博文館から出ていた「日本少年」を始め、名は忘れたが、その他そんなふうな雑誌や、書物をよく読んだものだ。親もまた言うがままに買い与えたものである。・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・と、吉里は平田をじろりと見て、西宮の手をしかと握り、「ねえ、このくらいなことは勘忍して下さるでしょう」「さア事だ。一人でさえ持て余しそうだのに、二人まで大敵を引き受けてたまるもんか。平田、君が一方を防ぐんだ。吉里さんの方は僕が引き受けた・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・あっちに行って黙って立っていてここの処を好く見て、凡そこの世に生きとし生けるものは、皆な慈愛を持っているのに、其方一人がうつろな心で戯けながらに世を渡ったのじゃという事をしかと胸に覚えるが好い。(死は物を呼び寄するが如き音をヴァイオ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・さらばしかと預けたぞよ」 さむらいは銀扇をパッと開いて感服しましたが、六平は余りの重さに返事も何も出来ませんでした。 さむらいは扇をかざして月に向って、「それ一芸あるものはすがたみにくし」と何だか謡曲のような変なものを低くうなり・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
出典:青空文庫