・・・やがて そろそろ 耀きの実体が見え憧憬と帰依とが 全心を占める。真の芸術への直覚。 然し、此時多くの 友達と、所謂読者はお前を離れるだろう彼等には あまり ひためんだからあんまり 掴む あぶはち、とんぼ が ・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ 誰でも知る通り、ソヴェト同盟は地球の六分の一を占める大国だ。北は北極から、南は砂漠。そこには綿が生え、駱駝しか歩けないような地域までひろがっている。ペルシャやアフガニスタンはすぐ隣りだ。蒙古と国境がくっついている。その中に、二十五の人・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ 自分は、一言一言で母親を木偶につかっている権力の喉を締めるように、「私は、金なんぞ、だ、し、て、はいない」と云った。「わかったこと? 私は、だ、し、てはいないのよ」 母親のそばへずっとよって、耳元で云った。「おっか・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 私は云われる通りその部屋に入って襖を閉めると間もなく何かが玄関の土間に下された様な気合(がした。 すると、多勢の足音が入り乱れて大変重いものでも運ぶ様な物音が私の居るすぐ前に襖一つ越して響くと、急に私は震える程の恐れにとりつかれた・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・会社の方では儲がうすくなったから、これ以上損をすまいと勝手に閉めるのだが、その日から女房子供を抱えて路頭に迷わなければならない数百人の労働者達は、黙ってそうですかと引込んではおれない。かたまって事務所へ押しかけ、閉めるのは勝手だが、俺たちの・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・ツァーの砲火の下に罪なく無智な労働者、女、子供の血が雪を染める間、ゴーリキイは大衆に混ってこの歴史的殺戮の証人となった。戦慄すべき記録「一月九日」はかくて書かれた。引きつづいてロシアの各地に勃発した人民殺戮に対する抗議のストライキの間、ゴー・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・女の赤い帽子、総ての色調を締める黒の男性散策者。 人は心を何ものかにうばわれたように歩く。……歩く。葉巻の煙、エルムの若葉の香、多くの窓々が五月の夕暮に向って開かれている。 やがて河から靄が上る。街燈が鉄の支柱の頂で燐を閃めかせ始め・・・ 宮本百合子 「わが五月」
・・・後に聞けば、勝手では朝起きて戸を閉めるまで、提灯に火を附けることにしている。提灯の柄の先に鉤が附いているのを、春はいつも長押の釘に懸けていたのだそうだ。その提灯を久に持っていろと云ったところが、久が面倒がって、提灯の柄で障子を衝き破って、提・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・跡について這入って戸を締める興行師も、大きい男ではないのに、二人の日本人はその男の耳までしかないのである。 ロダンの目は注意して物を視るとき、内眥に深く刻んだような皺が出来る。この時その皺が出来た。視線は学生から花子に移って、そこにしば・・・ 森鴎外 「花子」
・・・そしてその方向から朝日が昇って来ては帆を染めると、喇叭のひびきが聞えて来た。私はこの街が好きであった。しかし私はこの大津の街にもしばらくよりいられなかった。再び私は母と姉と三人で母の里の柘植へ移らねばならなかった。父が遠方の異国の京城へ行く・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫