・・・ そうすると、 第一は、思い切り保守的な、宗教的な婦人と、 進取的な、努力的な、従って標準より、より知的であると倶に芸術的である婦人。 第三は、良人から与えられる金を当然の権利として、彼女の意のままに消費する群、つまり流行の・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 内側の並木道と外側の並木道と二かわの古い菩提樹並木が市街をとりまき、鉱夫の帽子についている照明燈みたいな※と円い標を屋根につけた電車が、冬は真白く氷花に覆われた並木道に青いスパークを散らしながら走る。 夕方、五時というと冬のモスク・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・座敷の戸を締め切って、籠み入る討手のものを一人一人討ち取ろうとして控えていた一族の中で、裏口に人のけはいのするのに、まず気のついたのは弥五兵衛である。これも手槍を提げて台所へ見に出た。 二人は槍の穂先と穂先とが触れ合うほどに相対した。「・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・昨年彼新聞が六千号を刊するに至ったとき、主筆が我文を請われて、予は交誼上これに応ぜねばならぬことになったので、乃ち我をして九州の富人たらしめばという一篇を草して贈った。その時新聞社の一記者は我文に書後のようなものを添えて読者に紹介せられた。・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ こう云っておいて、ツァウォツキイはひょいと飛び出して、外から戸をばったり締めた。そして家の背後の空地の隅に蹲って、夜どおし泣いた。 色の蒼ざめた、小さい女房は独りで泣くことをも憚った。それは亭主に泣いてはならぬと云われたからである・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・そのほかはすべて雨ざらしで鳥や獣に食われるのだろう、手や足がちぎれていたり、また記標に取られたか、首さえもないのが多い。本当にこれらの人々にもなつかしい親もあろう、可愛らしい妻子もあろう、親しい交わりの友もあろう、身を任せた主君もあろう、そ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・だが、彼の生涯を通して、アングロサクソンのように彼を苦しめた田虫もまた、同時にそのときの一兵卒の銃から肉体へ移って来た。 ナポレオンの田虫は頑癬の一種であった。それは総ゆる皮膚病の中で、最も頑強な痒さを与えて輪郭的に拡がる性質をもってい・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・ 二人は羽がい締めにされた闘鶏のように、また人々の腕の中で怒り立った。「放してくれ、此奴逝わさにゃ、腹の虫が納るかい。」「泣きやがるな!」「何にッ!」 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人・・・ 横光利一 「南北」
・・・ この土地では夜も戸を締めない。乞食もいなければ、盗賊もいないからである。斜面をなしている海辺の地の上に、神の平和のようなものが広がっている。何もかも故郷のドイツなどとは違う。更けても暗くはならない、此頃の六月の夜の薄明りの、褪めたよう・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・旅人は這入って戸を締めた。フィンクはその影がどこへ落ち着くか見定めようと、一しょう懸命に見詰めている。しかし影は声もなく真の闇の中に消えてしまう。そしてどこかで長椅子がぎいぎいいう。旅人が腰を据えたのであろう。 部屋の中はまたひっそりす・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫