・・・われわれはドウしても学問をしなければならぬ、ドウしてもわれわれは青年に学問をつぎ込まねばならぬ、教育をのこして後世の人を誡しめ、後世の人を教えねばならぬというてわれわれは心配いたします。もちろんこのことはたいへんよいことであります。それでも・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・この一事を見ても、子供心に信仰を有たしめるものは、全く母の感化である。 最近の新聞紙は、三山博士の子供が三人共家出をして苦しんでいるという事実を伝えている。その記事に依ると、本当の母親は小さいうちに死んでしまって、継母の手に育ったという・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
もう昔となった。その頃、雑司ヶ谷の墓地を散歩した時分に、歩みを行路病者の墓の前にとゞめて、瞑想したのである。名も知れない人の小さな墓標が、夏草の繁った一隅に、朽ちかゝった頭を見せていた。あたりは、終日、しめっぽく、虫が細々とした声で鳴・・・ 小川未明 「ラスキンの言葉」
・・・言って、為さんは少し膝を進めて、「ですが、お上さん、親方はそりゃ粋を利かして死んなすったにしても、ね、前々からこういうわけだということが、例えば私の口からでも露れたとしたら、佃の方の親方が黙って承知はしめえでしょう」「何を阿父さんが承知・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・陸軍の主計官とかで、その人が細君を妾の為めに、非常に虐待したものから、細君は常に夫の無情を恨んで、口惜い口惜いといって遂に死んだ、その細君が、何時も不断着に鼠地の縞物のお召縮緬の衣服を着て紫繻子の帯を〆めていたと云うことを聞込んだから、私も・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・部屋のどこからも空気の洩れるところがないということが、ますます息苦しく胸をしめつけた。明けはなたれた窓にあこがれた。いきなりシリウス星がきらめいた。私ははっと眼をあけた。蜘蛛の眼がキラキラ閃光を放って、じっとこちらを見ているように思った。夜・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・夫婦がかりで薄気味悪いほどサーヴィスをよくしたが、人気が悪いのか新店のためか、その日は十五人客が来ただけで、それもほとんど替刃ばかり、売り上げは〆めて二円にも足らなかった。 客足がさっぱりつかず、ジレットの一つも出るのは良い方で、大抵は・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・なんとなく諦めた顔になった。注連繩屋も蜜柑屋も出ていなかった。似顔絵描き、粘土彫刻屋は今夜はどうしているだろうか。 しかし、さすがに流川通である。雪の下は都会めかしたアスファルトで、その上を昼間は走る亀ノ井バスの女車掌が言うとおり「別府・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ しめた! この男のこの大きな吸筒、これには屹度水がある! けれど、取りに行かなきゃならぬ。さぞ痛む事たろうな。えい、如何するもんかい、やッつけろ! と、這出す。脚を引摺りながら力の脱けた手で動かぬ体を動かして行く。死骸はわずか一間・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 意気地なしめ!」「だって……人のことを……猿面だなんて……二人でばかにするんだもの……」と、彼はすすりあげながら言った。 こう聞いて、私は全身にヒヤリとしたものを感じて、口を緘じた。二人でばかにする……この不用意な言葉が、私の腹の・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫