・・・に於て取られた言語体の文章は其組織や其色彩に於いて美妙君のの一派とは大分異っていた為、一部の人々をして言語体の文章と云うものについて、内心に或省察をいだかしめ、若くは感情の上に或動揺を起さしめた点の有った事は、小さな事実には過ぎなかったにせ・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・山は麓より巓まで、ひた上り五十二町にして、一町ごとに町数を勒せる標石あり。路はすべて杉の立樹の蔭につき、繞りめぐりて上りはすれど、下りということ更になし。三十九町目あたりに到れば、山急に開けて眼の下に今朝より歩み来しあたりを望む。日も暮るる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・されどそのままあるべきにもあらず、日も高ければいそぎて行くに、二時ばかりにして一の戸駅と云える標杭にあいぬ。またまたあやしむこと限りなし。ふたたび貝石うる家の前に出で、価を問うにいと高ければ、いまいましさのあまり、この蛤一升天保くらいならば・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・いうまでもなく、死刑に処せられるのは、かならず極悪の人、重罪の人であることをしめすものだ、と信ずるが故であろう。死刑に処せられるほどの極悪・重罪の人となることは、家門のけがれ、末代の恥辱、親戚・朋友のつらよごしとして、忌みきらわれるのであろ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・勿論その間に、俺は二三度調べに出て、竹刀で殴ぐられたり、靴のまゝで蹴られたり、締めこみをされたりして、三日も横になったきりでいたこともある。別の監房にいる俺たちの仲間も、帰えりには片足を引きずッて来たり、出て行く時に何んでもなかった着物が、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 十日、七日、五日……。だん/\日が減って行った。そうだ、丁度あと三日という日の午後、夕立がやってきた。「干物! 干物!」 となりの家の中では、バタ/\と周章てゝるらしい。 しめた! 俺はニヤリとした。それは全く天裕だった。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・彼女はその下着をわざと風変りに着て、その上に帯を締めた。 直次の娘から羽織も掛けて貰って、ぶらりと二番目の弟の家を出たが、とかく、足は前へ進まなかった。 小間物屋のある町角で、熊吉は姉を待合せていた。そこには腰の低い小間物屋のおかみ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ そう答える末子は婆やにまで手伝ってもらわないと、まだ自分ひとりでは幅の広い帯が堅くしめられなかったからで。末子は母さんののこした古い鏡台の前あたりに立って、黒い袴の紐を結んだが、それが背丈の延びた彼女に似合って見えた。 次郎は私の・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・みんなが早足に町の敷石を蹈み締め蹈み締めして歩いていた時に気が付いている。あの冬になってもやはり綺麗に見える庭の後に、懐かしげな立派な家が立ち並んでいる町を歩いていたときの事である。あのあたりの家はみな暖かい巣のような家であって、明るい人懐・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ なほ考ふるに、舜はもと一田夫の子、いかに孝行の名高しと雖、堯が直に之を擧げて帝王の位を讓れりといへる、その孝悌をいはんがためには、その父母弟等の不仁をならべて對照せしめしが如きは、之をしも史實として採用し得べきや。又禹の治水にしても、・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
出典:青空文庫