・・・したがってややともすると主観的の句が重複して、ある時は読者に不愉快な感じを与えはせぬかと思うところもあるが右の次第だから仕方がない。 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・然らばといって、たといそれが意識一般といっても主観の綜合統一によって成立すると考えられる世界は、何処までも自己によって考えられた世界、認識対象界たるに過ぎない。かかる対象的実在の世界からは、実践的当為の出て来ないのはいうまでもない。デカルト・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その私の旅行というのは、人が時空と因果の外に飛翔し得る唯一の瞬間、即ちあの夢と現実との境界線を巧みに利用し、主観の構成する自由な世界に遊ぶのである。と言ってしまえば、もはやこの上、私の秘密について多く語る必要はないであろう。ただ私の場合は、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・僕は一体話題のすくない人間であり、自己の狭い主観的興味に属すること以外、一切、話すことの出来ない質の人間だから、先方で話題を持ちかけて来ない以上は、幾時間でも黙っている外はない。だから客の方で黙っていると、結局睨み合ってしまう。そしてこの睨・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・〔『日本』明治三十二年三月二十八日〕 歌想に主観的なるものと客観的なるものとあり。『万葉』は主として主観的歌想を述べたるものにして客観的歌想は極めて少かりしが、『古今』以後、客観的歌想の歌、次第にその数を増加するの傾向を見る。 ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・もう仕方がないとあきらめると、つめたい風が森の中から出て電気燈の光にまじって来るので、首巻を鼻までかけて見たが直に落ちてしまう、寒さは寒し、急に背中がぞくぞくして気分が悪くなったからただうつむいたばかりで首もあげぬ。早く内へ帰れば善いとばか・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・一は主観的の感じで、一は客観的の感じである。そんな言葉ではよくわかるまいが、死を主観的に感ずるというのは、自分が今死ぬる様に感じるので、甚だ恐ろしい感じである。動気が躍って精神が不安を感じて非常に煩悶するのである。これは病人が病気に故障があ・・・ 正岡子規 「死後」
・・・客観的美 積極的美と消極的美と相対するがごとく、客観的美と主観的美ともまた相対して美の要素をなす。これを文学史の上に照すに、上世には主観的美を発揮したる文学多く、後世に下るに従い一時代は一時代より客観的美に入ること深きを見る・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・そういう主観の肯定が日本の地味と武者小路氏という血肉とを濾して、今日どういうものと成って来ているか。 そこには『白樺』がもたらした人間への愛の精神が具体的にどう消長したかも語られていて、さまざまの感想を私たちに抱かせると思う。〔一九四一・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
・・・恋愛ばかりは、真に主観的な豊富さから見ると、失っても得ても、ともに尊い、有難いものと云えます。その一段深まり拡った人間と自然との生存を味わせようとして、神は人間に複雑な全心的な恋愛の切な情を与えたのかと思われることさえある程です。 恋愛・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
出典:青空文庫