・・・ 適当な楽譜を得るためにはじめには銀座へんの大きな楽器店へ捜しに行ったが、そういう商店はなんとなくお役所のように気位が高いというのか横風だというのか、ともかくも自分には気が引けるようで不愉快であったから、おしまいには横浜のドーリングとか・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・おもちゃその物の効果については時々教育家や心理学者の講話を新聞や雑誌で読んでみるが、具体的に何商店のどのおもちゃがいいという事を教えてくれないのは物足りない。実際買おうと思って見渡す時に、自分が安心してこれならと思う品がまことに少ない。こん・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・それが彼には全くなんの意味もない風か波の音にしか聞こえないのである。小店員は自転車を止め、若きサラリーマンは靴ひもの解けたのも忘れ、魂は飛行機に乗って青山の空をかけっているのであった。彼は再びさびしい心持ちがした。 ことしの十月十三日の・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・林のお父さんも、お母さんもまだそこで大きな商店をやってるということだった。「アメリカさ、太平洋の真ン中にあるよ」 フーン、と私は返辞する。地図で習ったことを思いだすが、太平洋がどれくらい広くて、ハワイという島がどれくらい大きいのか想・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・たとえば議論の焦点がきまると、それを小野の方から飛躍させられて“そりゃァ、労働者の自由を束縛するというもんだ”という風に、手のつけようのないところへもってゆく。学生たちがそれをまた神棚から引きおろそうとして躍起になると、そのうち小野がだしぬ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・自余或ハ小店ト称シ、或ハ五軒ト号ケ、或ハ局ト呼ブ者ノ若キハ曾テ算フルニ遑アラズ。且又茶屋ハ梅本、家満喜、岩村等ト曰フモノ大ニ優ル。自余大和屋、若松、桝三河ト曰フモノ僉創立ノ旧家ナリト雖亦杳ニ之ニ劣レリ。将又券番、暖簾等ノ芸妓ニ於テハ先ヅ小梅・・・ 永井荷風 「上野」
・・・銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何なる進化の道によって、浴衣に兵児帯をしめた夕凉の人の姿と、唐傘に高足駄を穿いた通行人との調和を取るに至るであろうか。交詢社の広間に行くと、希臘風の人物を描いた「神の森」の壁画の下に、五ツ紋の紳士・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 踊子の栄子と大道具の頭の家族が住んでいた家は、商店の賑かにつづいた、いつも昼夜の別なくレコードの流行歌が騒々しく聞える千束町を真直に北へ行き、横町の端れに忽然吉原遊廓の家と灯とが鼻先に見えるあたりの路地裏にあった。或晩舞台で稽古に夜を・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・それから公園に近くなるにつれて商店や飲食店が次第に増えて、賑な町になるのであった。 震災の時まで、市川猿之助君が多年住んでいた家はこの通の西側にあった。酉の市の晩には夜通し家を開け放ちにして通りがかりの来客に酒肴を出すのを吉例としていた・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・その頃には日本の租界はなかったので、領事館を始め、日本の会社や商店は大抵美租界の一隅にあった。唯横浜正金銀行と三井物産会社とが英租界の最も繁華な河岸通にあったのだという。 美租界と英租界との間に運河があって、虹口橋とか呼ばれた橋がかかっ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫