・・・中 南北朝の頃から堺は開けていた。正平の十九年に此処の道祐というものの手によって論語が刊出され、其他文選等の書が出されたことは、既に民戸の繁栄して文化の豊かな地となっていたことを語っている。山名氏清が泉州守護職となり、泉府と・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
これは十年ほど前から単身都落ちして、或る片田舎に定住している老詩人が、所謂日本ルネサンスのとき到って脚光を浴び、その地方の教育会の招聘を受け、男女同権と題して試みたところの不思議な講演の速記録である。 ――もは・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・やっと彼の椅子が出来ると間もなく、チューリヒの大学の方で理論物理学の助教授として招聘した。これが一九〇九年、彼が三十一歳の時である。特許局に隠れていた足掛け八年の地味な平和の生活は、おそらく彼のとっては意義の深いものであったに相違ないが、と・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・たとえて言わば奥州街道から来るか東海道から来るか信越線から来るかもしれない敵の襲来に備えるために、ただ中央線の沿線だけに哨兵を置いてあるようなものである。 新聞記事によると、アメリカでは太平洋上に浮き飛行場を設けて横断飛行の足がかりにす・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・しかしながら徳川の末年でもあることか、白日青天、明治昇平の四十四年に十二名という陛下の赤子、しかのみならず為すところあるべき者どもを窘めぬいて激さして謀叛人に仕立てて、臆面もなく絞め殺した一事に到っては、政府は断じてこれが責任を負わねばなら・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・徳川幕府が仏蘭西の士官を招聘して練習させた歩兵の服装――陣笠に筒袖の打割羽織、それに昔のままの大小をさした服装は、純粋の洋服となった今日の軍服よりも、胴が長く足の曲った日本人には遥かに能く適当していた。洋装の軍服を着れば如何なる名将といえど・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載っている。 毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・当時我国興行界の事情と、殊にその財力とは西洋オペラの一座を遠く極東の地に招聘し得べきものでないと臆断していたので、突然此事を聞き知った時のわたくしの驚愕は、欧洲戦乱の報を新聞紙上に見た時よりも遥に甚しきものがあった。 五年間に渉った欧洲・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・慊堂は昌平黌の教授で弘化元年に歿した事は識者の知る所。その略伝の如きはここに言わない。 隅田川を書するに江戸の文人は多く墨水または墨江の文字を用いている。その拠るところは『伊勢物語』に墨多あるいは墨田の文字を用いているにあるという。また・・・ 永井荷風 「向嶋」
ケーベル先生は今日日本を去るはずになっている。しかし先生はもう二、三日まえから東京にはいないだろう。先生は虚儀虚礼をきらう念の強い人である。二十年前大学の招聘に応じてドイツを立つ時にも、先生の気性を知っている友人は一人も停・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
出典:青空文庫