・・・胸に硝薬のにおいがしたからである。 水を汲もうとする処へ、少年を促がしつつ、廻り駈けに駈けつけた孫八が慌しく留めた。水を飲んじゃなりましねえ。山野に馴れた爺の目には、沼の水を見さっせえ、お前等がいった、毒虫が、ポカリポカリ浮いてるだ。…・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・の英語の抄訳本などをおぼつかない語学の力で拾い読みをしていた。高等学校へはいってから夏目漱石先生に「オピアム・イーター」「サイラス・マーナー」「オセロ」を、それもただ部分的に教わっただけである。そのころから漱石先生に俳句を作ることを教わった・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・当時まだ翻訳は無かったように思うが、自分の見たのは英訳の抄訳本でただ物語の筋だけのものであった。そうして当時の自分の英語の力では筋だけを了解するのもなかなかの骨折りであったが、そのおかげで英語が急に進歩したのも事実であった。学校で教わってい・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・田崎は伝通院前の生薬屋に硫黄と烟硝を買いに行く。残りのものは一升樽を茶碗飲みにして、準備の出来るのを待って居る騒ぎ。兎や角と暇取って、いよいよ穴の口元をえぶし出したのは、もう午近くなった頃である。私は一同に加って狐退治の現状を目撃したいと云・・・ 永井荷風 「狐」
・・・それを心から感心して見るのは、どうしたって、本町の生薬屋の御神さんと同程度の頭脳である。こんな謀反人なら幾百人出て来たって、徳川の天下は今日までつづいているはずである。松平伊豆守なんてえ男もこれと同程度である。番傘を忠弥に差し懸けて見たりな・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・「一、山男紫紺を売りて酒を買い候事、山男、西根山にて紫紺の根を掘り取り、夕景に至りて、ひそかに御城下(盛岡へ立ち出で候上、材木町生薬商人近江屋源八に一俵二十五文にて売り候。それより山男、酒屋半之助方へ参り、五合入程の瓢箪を差出し、こ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・という題で鶴見和子氏がパール・バックのこの作品の抄訳を出している。パール・バックに会って、芸術家としての彼女の真摯な態度にうたれたこの若い日本の淑女は、作品の訳者として或る意味ではふさわしい人であったろう。抄訳であることは残念だと思う。生活・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・ その文章は何月何日の『プラウダ』に出たものであったのか、執筆者の署名があったのか無かったのか、完訳であるのか抄訳であるのかそれ等の点については、説明されていない。 ジイドの旅行記と『プラウダ』の批評とは、その性質上、対立的なものと・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・向いの机で、邦字新聞から経済記事を他の一人が抄訳している。黒ビロードのルパシカを着たジェルテルスキーは、最も窓に近い卓子で露字新聞を読んでいた。彼は、社長の独言から、何という埃だ。利かないもんかな、などと云う言葉を理解した。小心なジェルテル・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫