・・・客の一人は河岸の若い衆、もう一人はどこかの職工らしかった。我々は二人ずつ向い合いに、同じ卓に割りこませて貰った。それから平貝のフライを肴に、ちびちび正宗を嘗め始めた。勿論下戸の風中や保吉は二つと猪口は重ねなかった。その代り料理を平げさすと、・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・――「職工か何かにキスされたからですって。」「そんなことくらいでも発狂するものかな。」「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」「何か大へんな間違・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・その中に職工の姿が黒く見える。すすびたシャツの胸のはだけたのや、しみだらけの手ぐいで頬かぶりをしたのや、中には裸体で濡菰を袈裟のように肩からかけたのが、反射炉のまっかな光をたたえたかたわらに動いている。機械の運転する響き、職工の大きな掛声、・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・二万噸の××は高い両舷の内外に無数の職工をたからせたまま、何度もいつにない苛立たしさを感じた。が、海に浮かんでいることも蠣にとりつかれることを思えば、むず痒い気もするのに違いなかった。 横須賀軍港には××の友だちの△△も碇泊していた。一・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・ フレンチの向側の腰掛には、為事着を着た職工が二三人、寐惚けたような、鼠色の目をした、美しい娘が一人、青年が二人いる。 フレンチはこの時になって、やっと重くるしい疲が全く去ってしまったような心持になった。気の利いたような、そして同時・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・プロマイド屋の飾窓に反射する六十燭光の眩い灯。易者の屋台の上にちょぼんと置かれている提灯の灯。それから橋のたもとの暗がりに出ている螢売の螢火の瞬き……。私の夢はいつもそうした灯の周りに暈となってぐるぐると廻るのです。私は一と六の日ごとに平野・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・と書いた大提灯がぶら下っていて、その横のガラス箱の中に古びたお多福人形がにこにこしながら十燭光の裸の電灯の下でじっと坐っているのである。暖簾をくぐって、碁盤の目の畳に腰掛け、めおとぜんざいを注文すると、平べったいお椀にいれたぜんざいを一人に・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・九州の土地でたとえ職工をしてでも自活し、娘を引き取って余生を暮したい。蝶子にも重々気の毒だが、よろしく伝えてくれ。蝶子もまだ若いからこの先……などとあった。見せたらことだと種吉は焼き捨てた。 十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 例を車夫や職工にとって、食って行けないはずはないと主張するのである。むろん食うに食われない理屈はない、家賃、米代以下お新の学校費まで計算して、なるほど二十五円で間に合わそうと思えば間に合うのである。 それで石井翁の主張は、間に合い・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・七 十六燭光を取りつけた一個の電燈は、煤と蝿の糞で、笠も球も黒く汚れた。 いつの間にか、十六燭は、十燭以下にしか光らなくなっていた。電燈会社が一割の配当をつゞけるため、燃料で誤魔化しをやっているのだった。 芝居小屋へ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫