・・・もっともこれがあの町の定説と言う訣ではありません。口の悪い「ふ」の字軒の主人などは、「何、すむやすまねえじゃねえ。あれは体に傷をつけては二百両にならねえと思ったんです。」と大いに異説を唱えていました。 半之丞の話はそれだけです。しかしわ・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・が、そういう心持になった際に、当然気が付かなければならないところの、今日の仕事は明日の仕事の土台であるという事――従来の定説なり習慣なりに対する反抗は取りも直さず新らしい定説、新らしい習慣を作るが為であるという事に気が付くことが、一日遅けれ・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 言葉ばかりでなく、大阪という土地については、かねがね伝統的な定説というものが出来ていて、大阪人に共通の特徴、大阪というところは猫も杓子もこういう風ですなという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・という定説が権威を持っている文壇の偏見は私を毒し、それに、翻訳の文章を読んだだけでは日本文による小説の書き方が判らぬから、当時絶讃を博していた身辺小説、心境小説、私小説の類を読んで、こういう小説、こういう文章、こういう態度が最高のものかとい・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 三 恋愛の本質は何か 恋愛とは何かという問題は昔から種々なる立場からの種々な解釈があって、もとより定説はない。プラトンのように寓話的なもの、ショウペンハウエルのように形而上学的なもの、エレン・ケイのような人格主義的・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・活動常設館の前に来たとき入口のボックスに青い事務服を着た札売の女が往来をぼんやり見ていた。龍介はちょっと活動写真はどうだろうと思った。が、初めの五分も見れば、それがどういうプロセスで、どうなってゆくか、ということがすぐ見透く写真ばかりでは救・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ そもそも茶道は、遠く鎌倉幕府のはじめに当り五山の僧支那より伝来せしめたりとは定説に近く、また足利氏の初世、京都に於いて佐々木道誉等、大小の侯伯を集めて茶の会を開きし事は伝記にも見えたる所なれども、これらは奇物名品をつらね、珍味佳肴を供・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・となり、世界じゅうの常設館に渡り渡って人を呼ぶであろうか。もちろん観客の内の一部はたぶんそれが評判の映画であるために見ないうちから感心してそうして無条件にその評判をのみ込んでしまうであろうが、すべての観客はそれほどの鵜の鳥でない限りこの評判・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・当時ベルリンではこれを俗にキーントップと言っていた。常設館はいくつもあったがみんな小さなものでわずかの観客しか容れなかったように覚えている。邦楽座や武蔵野館のようなものはどこにもなかったようである。各地に旅行中の夜のわびしさをまぎらせるには・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・このような神経の異常を治療するのにいちばん手軽な方法は、講演会場から車を飛ばしてどこかの常設映画館に入場することである。上映中の映画がどんな愚作であってもそれは問題でない、のみならずあるいはむしろ愚作であればあるほどその治療的効果が大きいよ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
出典:青空文庫