・・・が、忽ち勇気をとり直すと、片手にナイフを握りながら、片手に妙子の襟髪を掴んで、ずるずる手もとへ引き寄せました。「この阿魔め。まだ剛情を張る気だな。よし、よし、それなら約束通り、一思いに命をとってやるぞ」 婆さんはナイフを振り上げまし・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・私はかすかな心の寛ぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまえていた。ところがそれよりも先にけたたましい日和下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思うと、間もなく車掌の何か云い・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・彼れは女のたぶさを掴んで道の上をずるずる引張って行った。集会所に来た時は二人とも傷だらけになっていた。有頂天になった女は一塊の火の肉となってぶるぶる震えながら床の上にぶっ倒れていた。彼れは闇の中に突っ立ちながら焼くような昂奮のためによろめい・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・風のごとく駆下りた、ほとんど魚の死骸の鰭のあたりから、ずるずると石段を這返して、揃って、姫を空に仰いだ、一所の鎌首は、如意に似て、ずるずると尾が長い。 二階のその角座敷では、三人、顔を見合わせて、ただ呆れ果ててぞいたりける風情がある・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・…… いま立ちしなの身じろぎに、少し引かれて、ずるずると出たが、女が留まるとともに、床へは落ちもせず、がしゃりと据った。 重量が、自然と伝ったろう、靡いた袖を、振返って、横顔で見ながら、女は力なげに、すっともとの座に返って、「御・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・……しかも真中に、ズキリと庖丁目を入れた処が、パクリと赤黒い口を開いて、西施の腹の裂目を曝す…… 中から、ずるずると引出した、長々とある百腸を、巻かして、束ねて、ぬるぬると重ねて、白腸、黄腸と称えて売る。……あまつさえ、目の赤い親仁や、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 見る見る、お前さん、人前も構う事か、長襦袢の肩を両肱へ巻込んで、汝が着るように、胸にも脛にも搦みつけたわ、裾がずるずると畳へ曳く。 自然とほてりがうつるんだってね、火の燃える蝋燭は、女のぬくみだッさ、奴が言う、……可うがすかい。・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・……後は一雪崩にずるずると屋敷町の私の内へ、辷り込まれるんだ、と吻と息をした。ところがまた、知ってる通り、あの一町場が、一方谷、一方覆被さった雑木林で、妙に真昼間も薄暗い、可厭な処じゃないか。」「名代な魔所でござります。」「何か知ら・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・峠の原で、たぶさを取って引倒して、覚えがあろうと、ずるずると引摺られて、積った雪が摺れる枝の、さいかちに手足が裂けて、あの、実の真赤なのを見た時は、針の山に追上げられる雪の峠の亡者か、と思ったんですがね。それから……立樹に結えられて、……」・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・玉子はあと片づけがすんでも帰らぬと思っていると、そのままずるずるにいついてしまって、私たちの新しい母親になりました。 玉子は浜子と同じように、私や新次を八幡筋の夜店へ連れて行ってくれたので、何にも知らぬ新次は玉子が来たことを喜んでいたよ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫