・・・とにかく彼はえたいの知れない幻の中を彷徨した後やっと正気を恢復した時には××胡同の社宅に据えた寝棺の中に横たわっていた。のみならずちょうど寝棺の前には若い本願寺派の布教師が一人、引導か何かを渡していた。 こう言う半三郎の復活の評判になっ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・僕はただ目の前に稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失っていました。二 そのうちにやっと気がついてみると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり囲まれていました。のみならず太い嘴の上に鼻目金をかけた河童が一匹、僕・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・南蛮船入津の図を描いた、三世紀以前の古屏風へ。 さようなら。パアドレ・オルガンティノ! 君は今君の仲間と、日本の海辺を歩きながら、金泥の霞に旗を挙げた、大きい南蛮船を眺めている。泥烏須が勝つか、大日おおひるめむちが勝つか――それはまだ現・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・桶の上に乗った女も、もう一度正気に返ったように、やっと狂わしい踊をやめた。いや、鳴き競っていた鶏さえ、この瞬間は頸を伸ばしたまま、一度にひっそりとなってしまった。するとその沈黙の中に、永久に美しい女の声が、どこからか厳かに伝わって来た。・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・と思う――その次の瞬間には彼はもういつか正気を失っていた。……… 中 馬の上から転げ落ちた何小二は、全然正気を失ったのであろうか。成程創の疼みは、いつかほとんど、しなくなった。が、彼は土と血とにまみれて、人気の・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ さて明くる日になって見ると、成程祖母の願がかなったか、茂作は昨日よりも熱が下って、今まではまるで夢中だったのが、次第に正気さえついて来ました。この容子を見た祖母の喜びは、仲々口には尽せません。何でも稲見の母親は、その時祖母が笑いながら・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・「そのせいでございましょうか、昨夜も御実検下さらぬと聞き、女ながらも無念に存じますと、いつか正気を失いましたと見え、何やら口走ったように承わっております。もとよりわたくしの一存には覚えのないことばかりでございますが。……」 古千屋は・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・「一体十九世紀の前半の作家はバルザックにしろサンドにしろ、後半の作家よりは偉いですね」客は――自分ははっきり覚えている。客は熱心にこう云っていた。 午後にも客は絶えなかった。自分はやっと日の暮に病院へ出かける時間を得た。曇天はいつか雨に・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・ 四、佐藤の詩情は最も世に云う世紀末の詩情に近きが如し。繊婉にしてよく幽渺たる趣を兼ぬ。「田園の憂欝」の如き、「お絹とその兄弟」の如き、皆然らざるはあらず。これを称して当代の珍と云う、敢て首肯せざるものは皆偏に南瓜を愛するの徒か。・・・ 芥川竜之介 「佐藤春夫氏の事」
・・・御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、でんぼう肌の畸人だったのです。「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のよ・・・ 芥川竜之介 「捨児」
出典:青空文庫