・・・ かくて、地上には無限に肥った一人の成人と、蒼空まで聳える轢殺車一台とが残るのか。 そうだろうか! そうだとするとお前は困る。もう啖うべき赤ん坊がなくなったじゃないか。 だが、その前に、お前は年をとる。太り過ぎた轢殺車がお前・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・天より我に与へ給へる家の貧は我仕合のあしき故なりと思ひ、一度嫁しては其家を出ざるを女の道とする事、古聖人の訓也。若し女の道に背き、去らるゝ時は一生の恥也。されば婦人に七去とて、あしき事七ツ有り。一には、しゅうとしゅうとめに順ざる女は去べし。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・箇月の苦しみを経て出産の上、夏の日冬の夜、眠食の時をも得ずして子を育てたる其心労は果して大ならざるか、小児に寒暑の衣服を着せ無害の食物を与え、言葉を教え行儀を仕込み、怪我もさせぬように心を用いて、漸く成人させたる其成跡は果して大ならざるか、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 民権論者とて悉皆老成人に非ず。あるいは白面の書生もあらん、あるいは血気の少年もあらん。その成行決して安心すべからず。万々一もこの二流抱合の萌を現わすことあらば、文明の却歩は識者をまたずして知るべし。これすなわち禍の大なるものなり。国の・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・いわゆる教育なるものは則ち能力の培養にして、人始めて生まれ落ちしより成人に及ぶまで、父母の言行によって養われ、あるいは学校の教授によって導かれ、あるいは世の有様に誘われ、世俗の空気に暴されて、それ相応に萌芽を出し生長を遂ぐるものなれば、その・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ある西人の説に、子女ようやく長じたらば、酒を飲むも演劇を見物するも、初はまず父母とともにして、次第に独歩の自由を許すべしという者あり。この説、はなはだあたるが如し。 右に述ぶる事実、はたして違うことなくば、ある人の憂慮する少年書生の無勘・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・ 聖人の本意は、後世より測り知るべからざるものとして、しばらくこれを擱き、その聖人の道と称して、数百年も数千年も、儒者のこれを人に教えて、人のこれを信じたる趣をみれば、欠点、はなはだ少なからず。就中、その欠点の著しきものは、孝悌忠信、道・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ひっきょう、学校の教育不完全にして徳育を忘れたるの罪なりとて、専ら道徳の旨を奨励するその方便として、周公孔子の道を説き、漢土聖人の教をもって徳育の根本に立てて、一切の人事を制御せんとするものの如し。 我が輩は論者の言を聞き、その憂うると・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ その趣は、老成人が少年に向い、直接にその遊冶放蕩を責め、かえって少年のために己が昔年の品行を摘発枚挙せられ、白頭汗を流して赤面するものに異ならず。直接の譴責は各自個々の間にてもなおかつ効を見ること少なし。いわんや天下億万の後進生に向っ・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ああ云う聖人の様な心持で居たらば、死を怖れて取乱す事もあるまい。人生の苦痛に対しても然り、聖人だって苦痛は有る、が、その間に一分の余裕があって取乱さん。悠々として迫らぬ気象、即ち「仁」がある。だから思想上で人生問題の解決が付くか否か解らんが・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
出典:青空文庫