・・・ラプンツェルは、こんどは泣きたくなって、岸の青草の上に崩れるように坐りました。王子の顔を見上げて、「王さまも、王妃さまも、おゆるし下さったの?」「もちろんさ。」王子は再び以前の、こだわらぬ笑顔にかえってラプンツェルの傍に腰をおろし、「君・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ずいぶん永いこと眠り、やがて熟し切った無花果が自然にぽたりと枝から離れて落ちるように、眠り足りてぽっかり眼を醒ましましたが、枕もとには、正装し、すっかり元気を恢復した王子が笑って立って居りました。ラプンツェルは、ひどく恥ずかしく思いました。・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・何某講と染め抜いた揃いの手拭を冠った、盛装に草鞋ばきという珍しい出で立ちの婦人の賑やかに陽気な一群と同乗した。公園の入口にはダリアが美しく咲いて森閑とした園内を園丁が掃除していた。子供の時分によく熱病をわずらって、その度に函館産の氷で頭を冷・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・桟橋へあやしげな小船をこぎよせる者があるから見ていると盛装したシナ婦人が出て来た。白服に着かえた船のボーイが桟橋の上をあちこちと歩いている。白のエプロンをかけた船のナースがシェンケでポルト酒かなにかもらってなめている。例のドイツ士官のコケッ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・引きしまった清爽な背広服もすべての先生たちのよりも立派に見えた。 まず器械の歴史から、その原理構造などを明快に説明した後にいよいよ実験にとりかかった時には異常な緊張が講堂全体に充満していたわけである。いよいよ蝋管に声を吹き込む段となって・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・上野へ入れば往来の人ようやくしげく、ステッキ引きずる書生の群あれば盛装せる御嬢様坊ちゃん方をはじめ、自転車はしらして得意気なる人、動物園の前に大口あいて立つ田舎漢、乗車をすゝむる人力、イラッシャイを叫ぶ茶店の女など並ぶるは管なり。パノラマ館・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・しかしそれから二三日とたたないある朝、庭の青草の上に長く冷たくなっているのを子供が見つけて来て報告した。その日自分は感冒で発熱して寝ていたが、その死骸をわざわざ見る気がしなかったから、ただそのままに裏の桃の木の根方に埋めさせた。目で見なかっ・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ で、私も青草の中へ踏みこんで、株に腰をおろした。淡い月影が、白々と二人の額を照していた。どこにも人影がみえなかった。対岸のどの家もしんとしていた。犬の声さえ聞こえなかった。もちろん涸れた川には流れの音のあるはずもなかった。「わたし・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の如き必須の設備すら完成することが出来ずにいる。都市のことを言うに臨んで公園の如き閑地の体裁について多言を費すのは迂愚の甚しきものであろう。昭和二年六月記・・・ 永井荷風 「上野」
・・・九年の星霜は決して短きものではない。西欧のオペラ及バレエが日本の演芸界に相応の感化を与えるには既に十分なる時間である。況や帝国劇場は西洋オペラを招聘する以前に在って、曾て一たび歌劇部を設けて部員を教練したことさえあるに於てをや。思うに日本の・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
出典:青空文庫