・・・ 翌日の午後彼が大学正門を出て大急ぎで円タクに飛び乗ると、なんと思い違えたものか車掌がいきなり「どちらが勝ちましたか」と聞くのであった。しかしそれが当然その日の早慶野球第三回戦に関する問いであることが、車掌にも彼にも自明的であったほ・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・明治初年の日本は実にこの初々しい解脱の時代で、着ぶくれていた着物を一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって行く明治初年の日本の意気は実に凄まじいもので、五ヶ条の誓文が天から下る、藩主が封土を投げ出す、武士が両刀を投出す、えたが平民にな・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ その頃には、今の大学の正門の所に粗末な木の門があった。竜岡町の方が正門であって、そこは正門ではなかったらしい。そこから入ると、すぐ今は震災で全く跡方もなくなった法文科大学の建物があった。それは青山御所を建てたコンドルという英人が建てた・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・譬ば恋情の切なるものは能く人を殺すといえることを以て意と為したる小説あらんに、其の本尊たる男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文も悉皆鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・聖堂よりに正門があって、ダラダラ坂の車まわしをのぼると、明治初代の建築である古風な赤煉瓦の建物があった。年を経た樫の樹が車まわしの右側から聖堂の境に茂っていてその鬱蒼とした蔭に、女高師の学生用の弓場があった。弓場のあるあたりは、ブランコなど・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・雑草が茂っている石段に腰かけると、そこは夏でも涼しくて、砂利をしいた正門前の広庭を蜥蜴が走ってゆくのや、樫の大木の幹や梢が深々と緑に輝く様が、閑静な空気のなかに見わたせた。遠くの運動場の方からは長い昼休みのさわぎが微にきこえて来る。私はそこ・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 並木道を工場の方へ曲ると、工場の正門に赤旗がいきいきはためいている。托児所の煉瓦の建物の窓も、赤旗である。 続々とやってくる婦人労働者たちは、みんな勇んでその門を入って行く。五ヵ年計画がはじまってから誰でも七時間労働だが、今日は特・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の三月八日」
・・・画面にふたたび、府中刑務所のいかめしい正門が見えて来た。遂にこの扉の開かれる日が来ました、という言葉とともに、しずかに、ひろく一杯に刑務所の大門が開いた。急にカメラの角度がかわって、ひろ子たちの方へのしかかって来るように、その門の中からスク・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・東片町の通りから入って来ると正面が正門で、入ったところから砂利がしきつめられていた。桜の大木が右手に植っていて、その枝の下に、男児の下駄箱、つまり出入口があった。小使室が続いていて、お弁当の時黒いはっぴを着た小使が両手に三つずつ銅のヤカンを・・・ 宮本百合子 「藤棚」
出典:青空文庫