・・・灌木や竹藪の根が生なました赤土から切口を覗かせている例の切通し坂だった。 ――彼がそこへ来かかると、赤土から女の太腿が出ていた。何本も何本もだった。「何だろう」「それは××が南洋から持って帰って、庭へ植えている○○の木の根だ」・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・草の間に細く赤土が踏みならされてあって、道路では勿論なかった。そこを登って行った。木立には遮られてはいるが先ほどの処よりはもう少し高い眺望があった。先ほどの処の地続きは平にならされてテニスコートになっている。軟球を打ち合っている人があった。・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・起伏する地の波はその辺で赤土まじりの崖に成って、更に河原続きの谷底の方へ落ちている。崖の中腹には、小使の音吉が弟を連れて来て、道をつくるやら石塊を片附けるやらしていた。音吉は根が百姓で、小使をするかたわら小作を作るほどの男だ。その弟も屈強な・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・いってもいっても、からだがきまらず、そのうちに、私のすぐ鼻のさき、一丈ほどの赤土の崖がのっそり立った。見あげると、その崖のうえには、やしろでもあるのか、私の背丈くらいの小さい鳥居が立っていて、常磐木が、こんもりと繁り、その奥ゆかしさが私をま・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・約一畝歩ぐらいの赤土の崖がそれなのであった。 小山は馬禿山と呼ばれている。ふもとの村から崖を眺めるとはしっている馬の姿に似ているからと言うのであるが、事実は老いぼれた人の横顔に似ていた。 馬禿山はその山の陰の景色がいいから、いっそう・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・全島紅葉して、岸の赤土の崖は、ざぶりざぶりと波に洗われている。もう、来てしまったのだ。それにしては少し早すぎる。まだ一時間しか経っていない。旅客もすべて落ちついて、まだ船室に寝そべっている。甲板にも、四十年配の男が、二、三人出ているが、一様・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・近ごろの新しい画学生の間に重宝がられるセザンヌ式の切り通し道の赤土の崖もあれば、そのさきにはまた旧派向きの牛飼い小屋もあった。いわゆる原っぱへ出ると、南を向いた丘の斜面の草原には秋草もあれば桜の紅葉もあったが、どうもちょうどぐあいのいい所を・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・昔のわが家の油絵はどうなったか、それを聞き出す唯一の手がかりはもう六年前になくなった母とともに郷里の久万山の墓所の赤土の中にうずもれてしまっているのであった。 その後おりおり神保町の夜店をひやかすようなときは、それとなく気をつけているが・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・九十五度の風が吹くと温帯の風物は赤土色の憂愁に包まれてしまうのである。 喉元過ぎれば暑さを忘れるという。実際われわれには暑さ寒さの感覚そのものも記憶は薄弱であるように見える。ただその感覚と同時に経験した色々の出来事の記憶の印銘される濃度・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・後がへって郡部の赤土が附着いていないといけまいね。鼻緒のゆるんでいるとこへ、十文位の大きな足をぐっと突込んで、いやに裾をぱっぱっとさせて外輪に歩くんだね。」「それから、君、イとエの発音がちがっていなくッちゃいけないぜ。電車の中で小説を読・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫