・・・この辺はいわゆる山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の歯を吸い落すほどに濘る。暗さは暗し、靴は踵を深く土に据えつけて容易くは動かぬ。曲りくねってむやみやたらに行くと枸杞垣とも覚しきものの鋭どく折れ曲る角でぱたりとまた赤い火に出くわした。見・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・中はがらんとして暗くただ赤土が奇麗に堅められているばかりでした。土神は大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。 それからぐったり横になっている狐の屍骸のレーンコートのかくしの中に手を入れて見ました。そのかくしの中には・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・すると、今朝の霜でゆるんだまま夜にとざされようとしている赤土に、まことに瀟洒な女靴の踵のあとがくっきりと一つ印されているのが目にのこった。そしてそれは何故か私の額の上に刻まれたもののような印象を与えて今日に及んでいるのである。〔一九三七・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・根川の青き水の面に白き帆の 水鳥の如舞ひつゝも行く荒れし地を耕す鍬の手を止めて 汽車の煙りを見守れる男田舎道乗合馬車の砂煙り たちつゝ行けば黄の霞み立つ赤土に切りたほされし杉の木の 静・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 木戸が開いて居るので、庭へ廻り、ささくれた廊下や、赤土で、かさかさな庭を見、此が自分の家になるのかと、怪しいような心持さえした。 H町に暮して居た種々な、ややアリストクラットな趣味や脆弱さが抜けて居ないので、自分は、静に生活を冥想・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ 私には見当もつかない程低い低い下の方から先(ぐの足元まで這い上って居るそのの面は鋭い武器で切られた様に滑らかそうで、赤土の堅い層の面をポカポカなそれより黄色い粉の様な泥が被うて居た。 そこからは弟達の玩具の通りな汽車の線路や、家や・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ が、頓智で、「御堂ですよ」と、註釈を加えた。――少女は育ちのよい娘らしく、わだかまりない容子で、「ああ、御堂!」と叫んだ。御堂なら、橋を渡った方が近いのだそうだ。 赤土の泥濘を過ぎ、短い村落の家並にさしかかった。道・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 土地の大抵は粘土めいたもので赤土と石ころが多く、乾いた処は眼も鼻も埋めて仕舞いそうな塵となって舞いのぼり、湿った処はいつまでも、水を吸収する事なくて不愉快な臭いを発したり、昆虫の住居になったりする。長年耕された土地でさえも肥料の入るわ・・・ 宮本百合子 「農村」
旧佐倉街道を横に切れると習志野に連る一帯の大雑木林だ。赤土の開墾道を多勢の男連が出てシャベルやスコップで道路工事をやっている。×村から野菜を○○へ運び出すのに、道はここ一つだ。それを軍馬が壊すので、村民がしなければならない・・・ 宮本百合子 「飛行機の下の村」
・・・台町の方から坂の上までは人力車が通うが、左側に近頃刈り込んだ事のなさそうな生垣を見て右側に広い邸跡を大きい松が一本我物顔に占めている赤土の地盤を見ながら、ここからが坂だと思う辺まで来ると、突然勾配の強い、狭い、曲りくねった小道になる。人力車・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫