・・・後には、小母さんも藤さんの事は先方から避けていっさい自分の前では言わなくなった。初やも言い含められでもしたのか、妙に藤さんの名さえも口に出さなかった。二人で何とか考えての事かもしれないと思ったが、そんなことはどうでもよかった。聞かされさえし・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・あの男の話によれば、先方の女は、今日はじめて、拳銃の稽古をしていたというではないか。私は学生倶楽部で、何時でも射撃の最優勝者ではなかったか。馬に乗りながらでも十発九中。殺してやろう、私は侮辱を受けたのだ。この町では決闘は、若し、それが正当の・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・とうとう誰彼となく君僕で話す。先方がそれに応ずると否とは、勝手である。竜騎兵中尉はこの返事をして間もなく、「そんなら」と云って、別れそうにした。「どこへ行く。」「内へ帰る。書きものがある。」「書きもの。」旆騎兵中尉は、「気が違っ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・科学者のM君は積分的効果を狙って着実なる戦法をとっているらしく、フランス文学のN君はエスプリとエランの恍惚境を望んでドライブしているらしく、M夫人の球はその近代的闊達と明朗をもってしてもやはりどこか女性らしいやさしさたおやかさをもっているよ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・話をしかけたが、先方ではどうしても自分を思い出してくれない。他の同窓の名前を列挙してみても無効である。 浜べに近い、花崗石の岩盤でできた街路を歩いていると横手から妙な男が自分を目がけてやって来る。藁帽に麻の夏服を着ているのはいいが、鼻根・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・それに姉も先方の身上を買い被っていたらしいんだ。そこは僕も姉を信じたのが悪かったけれど、大変いいような話だったからね」「ふみ江さんが片づきなすったんですか」お絹が訊いた。「それでごたごたしているんだがね」「あの方もいい縹緻でした・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 斯ういう掛合に、此方から金額を明言するのは得策でない。先方の口から言出させて、大概の見当をつけ、百円と出れば五拾円と叩き伏せてから、先方の様子を見計らって、五円十円と少しずつせり上げ、結局七八拾円のところで折合うのが、まずむかしから世・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・しかして強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺の持ちようも知らないとか、小刀の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ こうした環境に育った僕は、家で来客と話すよりも、こっちから先方へ訪ねて行き、出先で話すことを気楽にして居る。それに僕は神経質で、非常に早く疲れ易い。気心の合った親友なら別であるが、そうでもない来客と話をすると、すぐに疲労が起ってきて、・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・また徳川の時代に、江戸にいて奥州の物を用いんとするに、飛脚を立てて報知して、先方より船便に運送すれば、到着は必ず数月の後なれども、ただその物をさえ得れば、もって便利なりとして悦びしことなれども、今日は一報の電信に応じて、蒸気船便に送れば、数・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
出典:青空文庫