・・・されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するもの、唯南京蕎麦売の簫があるばかりとなった。 新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。 その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るよう・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・この苗木のもとに立って、断髪洋装の女子と共に蓄音機の奏する出征の曲を聴いて感激を催す事は、鬢糸禅榻の歎をなすものの能くすべき所ではない。巴里には生きながら老作家をまつり込むアカデミイがある。江戸時代には死したる学者を葬る儒者捨場があった。大・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写においても十九世紀の人間を古代の舞台に躍らせるようなかきぶりであるから、かかる短篇を草するには大に参考すべき長詩であるはいうまでもない。元来なら記憶を新たにする・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・塔中四辺の風致景物を今少し精細に写す方が読者に塔その物を紹介してその地を踏ましむる思いを自然に引き起させる上において必要な条件とは気がついているが、何分かかる文を草する目的で遊覧した訳ではないし、かつ年月が経過しているから判然たる景色が・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・而してこの習慣の学校は、教授の学校よりも更に有力にして、実効を奏すること極めて切実なるものなり。今この教師たる父母が、子供と共に一家内に眠食して、果たして恥ずるものなきか。余輩これを保証すること能わず。前夜の酒宴、深更に及びて、今朝の眠り、・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・其文に優美高尚なるものあり、粗野過激なるものあり、直筆激論、時として有力なることなきに非ざれども、文に巧なる人が婉曲に筆を舞わして却て大に読者を感動せしめて、或る場合には俗に言う真綿で首を締めるの効を奏することあり。男子の文章既に斯の如し。・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・三冬の育教、来年の春夏に功を奏するか。いわく、否なり。少年を率いて学に就かしめ、習字・素読よりようやく高きに登り、やや事物の理を解して心事の方向を定むるにいたるまでは、速くして五年、尋常にして七年を要すべし。これを草木の肥料に譬うれば、感応・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・この稿を草する半にして、曙覧翁の令嗣今滋氏特に草廬を敲いて翁の伝記及び随筆等を示さる。因って翁の小伝を掲げて読者の瀏覧に供せんとす。歌と伝と相照し見ば曙覧翁眼前にあらん。竹の里人付記〔『日本』明治三十二年四月二十三日・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・彼女の奏するピアノをきいて、スーの父親である老教授は、かすかに慄えて、自分がこれまでの生涯を浪費したことを悲歎した。その恐怖が彼女にブレークと自分との生活の実体についての疑問を目ざめさせたのであった。 スーザンは、家の附近の粗末なアパー・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・並木道にも音楽堂があって、労働者音楽団の奏する音楽が遠くまで、夜おそくまで聞える。 ソヴェト同盟はひろい国だ。北と南との端では気候がまるきり違う。モスクワ辺は、五月下旬から九月までが夏で、あと短い雨の多い秋からすぐ半年の冬に入るから、夏・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
出典:青空文庫