・・・大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から、地震に対する特殊の研究機関の必要を痛感し、時の総長古在由直氏に進言し、その後援の下に懸命の努力をもって奔走した結果、遂に東京帝国大学附属地震研究所の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 例えば殺人罪を犯した浪人の一団の隠れ家の見当をつけるのに、目隠しされてそこへ連れて行かれた医者がその家で聞いたという琵琶の音や、ある特定の日に早朝の街道に聞こえた人通りの声などを手掛りとして、先ず作業仮説を立て、次にそのヴェリフィケー・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・このあいだ○○帝大総長が帰る時は八挺艪の漁船を仕立てて送ったのだという。 宅へ沙汰なしでうっかりこんな所へ来てしまって、いつ帰られるかわからないことになって、これは困ったことができたと思って、黒い海面のかなたの雲霧の中をながめていたら目・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・行司の古典的荘重さをもった声のひびきがちゃんと鉄傘下の大空間を如実に暗示するような音色をもってきこえるのがおもしろい。観客のどよみも同じく空間を描き出す効果があるのみならず、その音の強弱緩急の波のうち方で土俵の上の活劇の進行の模様が相撲に不・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・二十一日の早朝に中心が室戸岬附近に上陸する頃には颱風として可能な発達の極度に近いと思わるる深度に達して室戸岬測候所の観測簿に六八四・〇ミリという今まで知られた最低の海面気圧の記録を残した。それからこの颱風の中心は土佐の東端沿岸の山づたいに徳・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・四月四日 日曜で早朝楽隊が賛美歌を奏する。なんとなく気持ちがいい。十時に食堂でゴッテスディーンストがある。同じ事でも西洋の事は西洋人がやっているとやはり自然でおかしくない。四月五日 朝甲板へ出て見ると右舷に島が二つ見える。窓・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・あれはある無名の宗教の荘重な儀式と考えるべきものである。 私はここに一つの案をもっている。それはたとえば東京の日比谷公園にある日を期して市民を集合させる。そして田舎で不用になっている虫送りの鐘太鼓を借り集めて来てだれでもにそれをたたかせ・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・自分よりはずっと前にドイツへ来ていて他の大学からベルリンへ転学して来たそうで言葉なども自由らしかった。総長の演説があったが何を云っているか自分にはちっとも分らないので少々心細くなった。それから新入生一人一人に総長が握手をするというので、一列・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・その後ウェストミンスター・アベーに記念の標石を納めようという提議が大学総長や王立協会会長などの間に持出され、その資金が募集された。標石の上の方には横顔を刻したメダリオンが付いている。レーリーの私淑したと思わるるトーマス・ヤングの記念標と丁度・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
出典:青空文庫