そがきょうげん【曽我狂言】
曽我兄弟のあだ討ちを主題とした歌舞伎狂言。元禄期(1688〜1704)に形が整い、享保期(1716〜1736)から明治初年まで、江戸各座は吉例として初春狂言にした。→曽我物
そがきょうだい【曽我兄弟】
曽我祐成 (すけなり) (十郎)・時致 (ときむね) (五郎)の兄弟。建久4年(1193)富士の裾野の狩り場で、父のあだ、工藤祐経 (くどうすけつね) を討ち、のちに謡曲・歌舞伎などの題材となった。
そがしょうはく【曽我蕭白】
[1730〜1781]江戸中期の画家。京都の人。本姓、三浦。名は暉雄 (てるお) 。曽我蛇足・直庵の画風を慕い、蛇足軒・蛇足十世と自称。荒々しい筆致で特異な人物画を描いた。
そがすけなり【曽我祐成】
[1172〜1193]鎌倉初期の武士。河津祐泰 (かわづすけやす) の子。十郎と称した。曽我兄弟の兄。
そがだそく【曽我蛇足】
室町後期の画家。曽我派の始祖的な画家で京都の大徳寺真珠庵の襖絵 (ふすまえ) を描いたと伝えられるが、経歴・生没年ともに未詳。そがじゃそく。
そがちょくあん【曽我直庵】
安土桃山時代の画家。経歴は不明であるが、堺で蛇足6世を名のって活躍。粗豪な筆致で、漢画の手法を取り入れた花鳥画を多く描いた。生没年未詳。
そがときむね【曽我時致】
[1174〜1193]鎌倉初期の武士。河津祐泰 (かわづすけやす) の子。五郎と称した。曽我兄弟の弟。
そがどの【曽我殿】
《曽我兄弟が貧乏であったところから》貧乏。「あたま付きは両替町、内証は—」〈浄・女腹切〉
そがのあめ【曽我の雨】
《曽我兄弟があだ討ちをした陰暦5月28日は雨であったところから》陰暦5月28日に降る雨。
そがのいしかわのまろ【蘇我石川麻呂】
[?〜649]飛鳥時代の朝臣。馬子の孫。本宗家の蝦夷 (えみし) ・入鹿 (いるか) と反目、大化の改新に功を立て、孝徳天皇即位とともに右大臣に就任。のち、讒言 (ざんげん) によって自殺。蘇我倉山田石川麻呂。