・・・けれども、君のその嘆声は、いつわりである。一得一失こそ、ものの成長に追随するさだめではなかったか。永い眼で、ものを見る習性をこそ体得しよう。甲斐なく立たむ名こそ惜しけれ。なんじら断食するとき、かの偽善者のごとく、悲しき面容をすな。キリストだ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・低くそう言って、お辞儀の姿勢のままで、振り仰いだ顔は、端正である。眼が大きすぎて、少し弱い、異常な感じを与えるけれど、額も、鼻も、唇も、顎も、彫りきざんだように、線が、はっきりしていた。ちっとも、私と似ていやしない。「おつるの子です。お忘れ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・私は思わず嘆声を発した。「ひどいだろう? 呆れたろう。」「いいえ、あなたの朱筆のほうがひどいですよ。僕の文章は、思っていた程でも無かった。狡智の極を縦横に駆使した手紙のような気がしていたのですが、いま読んでみて案外まともなので拍子抜・・・ 太宰治 「誰」
・・・踊って、すらと形のきまる度毎に、観客たちの間から、ああ、という嘆声が起り、四、五人の溜息さえ聞えた。美しいと思ったのは私だけでは無かったのである。 私は、その女の子の名前を知りたいと思った。まさか、人に聞くわけにいかない。私は十二の子供・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・僕は、真直を見て歩いていても、あの薄暗い隅に寝そべっている浮浪者の殆ど全部が、端正な顔立をした美男子ばかりだということを発見したんだ。つまり、美男子は地下道生活におちる可能性を多分に持っているということになる。君なんか色が白くて美男子だから・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・給仕人は、その面のような端正の顔に、ちらとあいそ笑いを浮べて、お辞儀をした。 そのまま、乙彦は外へ出た。ステッキを振って日比谷のほうへ、ぶらぶら歩いた。たそがれである。うすら寒かった。はき馴れぬフェルト草履で、歩きにくいように見えた。日・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 遊覧客たちの、そんな嘆声に接して、私は二階で仕事がくるしく、ごろり寝ころんだまま、その天下第一のながめを、横目で見るのだ。富士が、手に取るように近く見えて、河口湖が、その足下に冷く白くひろがっている。なんということもない。私は、かぶり・・・ 太宰治 「富士に就いて」
・・・ こうした嘆声がいつとなく私の口に上るのであった。 戦場でのすさまじい砲声、修羅の巷、残忍な死骸、そういうものを見てきた私には、ことにそうした静かな自然の景色がしみじみと染み通った。その対照が私に非常に深く人生と自然とを思わせた。・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・というものを見たのではないかと想像されたのは、映画中なんべんとなく「はあー、いろんなことがあるんだねえ。……はあ、いろんなことがあるんだねえ」という嘆声を繰り返していたからである。実際その映画にはおとなにもおもしろい「いろんな」ことがあった・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・であったが、今度のにはもう弱い失望の嘆声が少し加わったように思われる。自分ながら心細い。 四、五日前役所で忘年会の廻状がまわった。会費は年末賞与の三プロセント、但し賞与なかりし者は金弐円也とあった。自分は試験の準備でだいぶ役所も休んだた・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
出典:青空文庫