・・・わたくしは昭和改元の際年は知命に達していた。二君の好意を空しくせまいと思っても悲しい哉時は早や過去ったようである。強烈な電燈の光に照出される昭和の世相は老眼鏡のくもりをふいている間にどんどん変って行く。この頃、銀座通に柳の苗木が植付けられた・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ぐったりとなった憐れな赤犬は熟睡した小児が母の手に衣物を脱がされるように四つの足からそうして背部へと皮がむかれた。致命の打撲傷を受けた頸のあたりはもう黒く血が凝って居た。裸にされた犬は白い歯を食いしばって目がぎろぎろとして居た。毛皮は尾から・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・尤も先生がこれら知名の人の名を挙げたのは、辞任の必ずしも非礼でないという実証を余に紹介されたまでで、これら知名の人を余に比較するためでなかったのは無論である。 先生いう、――われらが流俗以上に傑出しようと力めるのは、人として当然である。・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・それから、現今の露西亜文壇の趨勢の断えず変っている有様やら、知名の文学者の名やら、日本の小説の売れない事やら、露西亜へ行ったら、日本人の短篇を露語に訳して見たいという希望やら、いろいろ述べた。何しろ三人寝そべって、二三時間暮らしていたのだか・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・何故カッパードシヤというかというと、なんでもカッパードシヤとか何とかいう希臘の地名か何かある。今は忘れてしまいましたが、希臘の歴史を教える時、その先生がカッパードシヤカッパードシヤと一時間の内幾回となく繰り返す。それでカッパードシヤという渾・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・第三、地理書 地球の運転、山野河海の区別、世界万国の地名、風俗・人情の異同を知る学問なり。いながら知るべき名所を問わず、己が生れしその国を天地世界と心得るは、足を備えて歩行せざるが如し。ゆえに地理書を学ばざる者は、跛者に異な・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・支那の人名地名を用い、支那の古事風景等を詠ずる場合はもちろん、わが国のことをいう引合いに出されたるも少からず。その句、行き/\てこゝに行き行く夏野かな朝霧や杭打つ音丁々たり帛を裂く琵琶の流れや秋の声釣り上げし鱸の巨口玉や・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
イーハトヴは一つの地名である。しいて、その地点を求むるならば、それは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。じつ・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・そしてそれは癌という致命的な病気の名をつけられている。私たちは歴史の中にも、社会の伝統の中にも、日本らしいこういう矛盾、胎生細胞をもっていることについてまじめに知り、考えなければならないと思う。 しかし婦人が人民としての生活の中では性別・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・進歩党その他の婦人代議士も、大体元代議士夫人、女流教育家、社長夫人、娘、重役、病院長、婦人会関係の知名婦人等が多数を占めていることは注目される。僅かに社会党の山崎道子氏が、多年社会事業方面の事業の経験者であり、共産党の柄沢とし子氏が、労働組・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
出典:青空文庫