・・・ところが、その翌る年の七月二十四日の陶器祭、この日は瀬戸物町に陶器作りの人形が出て、年に一度の賑いで、私の心も浮々としていたが、その雑鬧の中で私はぱったり文子に出くわしました。母親といっしょに祭見物に来ていたのです。文子は私の顔を見ても、つ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・私は医科の小使というものが、解剖のあとの死体の首を土に埋めて置いて髑髏を作り、学生と秘密の取引をするということを聞いていたので、非常に嫌な気になった。何もそんな奴に頼まなくたっていいじゃないか。そして女というものの、そんなことにかけての、無・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・こは夜業を妨げぬと笑面作りつ、また急ぎゆけり。右は畑、左は堤の上を一列に老松並ぶ真直の道をなかば来たりし時、行先をゆくものあり。急ぎて燈火さし向くるに後姿紀州にまぎれなし。彼は両手を懐にし、身を前に屈めて歩めり。「紀州ならずや」呼びかけ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・終に止むなく勘文一通を造りなして、其の名を立正安国論と号す。文応元年七月十六日、屋戸野入道に付して、古最明寺入道殿に進め了んぬ。これ偏に国土の恩を報ぜん為めなり。」 これが日蓮の国家三大諫暁の第一回であった。 この日蓮の「国土の恩」・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・それで、二年分もあるのだが、自分の家に焚きものとするとて、畠のつゞきの荒らした所へ高く積み重ねて、腐らないように屋根を作りつけて、かこって置くのだ。「よいしょ。」「よい来た。」「よいしょ。」「よい来た。」 宗保は、ねそを・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・かねて十分に作りおいたる竜なら竜、虎なら虎をそこに置き、前の彫りかけを隠しおく。殿復びお出ましの時には、小刀を取って、危気無きところを摩ずるように削り、小々の刀屑を出し、やがて成就の由を申し、近々ご覧に入るるのだ。何の思わぬあやまちなどが出・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・それほどにして造りあげた帽子も、服も、付属品いっさいも、わずか二月ほどの役にしか立たないとを知った時に私も驚いた。「串談じゃないぜ。あの上着は十八円もかかってるよ。そんなら初めから洋服なぞを造らなければいいんだ。」 日ごろ父一人をた・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ しかしこんなことは畢竟ずるに私の知識の届く限りで造り上げた仮の人生観たるに過ぎない。これがわかったために私の実行的生活が変動するわけでも何でもない。のみならず現にその知識みずからが、まだこの上幾らでも難解の疑問を提出して休まない。自己・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・いろいろ物そうなので、町々では青年団なぞがそれぞれ自警団を作り、うろんくさいものがいりこむのをふせいだり、火の番をしたりして警戒しました。 郊外から見ると、二日の日なぞは一日中、大きなまっ赤な入道雲見たいなものが、市内の空に物すごく、お・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・しスバーが水のニムフであったなら、彼女は、蛇の冠についている宝玉を持って埠頭へと、静かに川から現れたでしょうに、そうなると、プラタプは詰らない釣などは止めてしまい、水の世界へ泳ぎ入って、銀の御殿の黄金作りの寝台の上に、誰あろう、この小さい唖・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫