・・・ 店梯子を駈け上る四五人の足音がけたたましく聞えた。「お客さまア」と、声々に呼びかわす。廊下を走る草履が忙しくなる。「小万さんの花魁、小万さんの花魁」と、呼ぶ声が走ッて来る。「いやだねえ、今時分になって」と、小万は返辞をしないで眉を・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘に耽るが如く、底止するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたまこれを詭激に導くの助・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・草を刈り、牛を飼い、草臥はてたるその子供を、また学校に呼びて梯子登りの稽古か、難渋至極というべし。『論語』『大学』の教もまた、この技芸の如し。今の百姓の子供に、四角な漢字の素読を授け、またはその講釈するも、もとより意味を解すものあるべか・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・滝口に燈を呼ぶ声や春の雨白梅や墨芳ばしき鴻臚館宗鑑に葛水たまふ大臣かな実方の長櫃通る夏野かな朝比奈が曽我を訪ふ日や初鰹雪信が蝿打ち払ふ硯かな孑孑の水や長沙の裏長屋追剥を弟子に剃りけり秋の旅鬼貫や新酒の中の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それに驚いて、鱶を一目見るや否や梯子を下りて来て、自分の行李から用意の薬を取り出し、それを袋のままで着て居る外套のカクシへ押し込んで、そうして自分の座に帰って静かに寝て居た。自分の座というのは自分が足を伸ばして寝るだけの広さで、同業の新聞記・・・ 正岡子規 「病」
・・・それでこそ私の弟子なのだ。お前のお父さんは七年前の不作のとき祭壇に上って九日祷りつづけられた。お前のお父さんはみんなのためには命も惜しくなかったのだ。ほかの人たちはどうだ。ブランダ。言ってごらん。」 ブランダと呼ばれた子はすばやくきちん・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・幼年時代を、たのしく愛と芸術的な空気にみちたトーマス・マンの家庭に育って、十八歳で学校を卒業すると、ベルリンへ出て、マックス・ラインハルトの弟子になった。ラインハルトといえばドイツの近代劇と演出の泰斗である。 ラインハルトの下で女優とな・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・財産税だけでは危くなって来て、なんとか処置をしなければならなくなって、そこで支払い停止のモラトリアムということをしまして、私たちは、小さな膏薬みたいなものを貰って、十円札に貼りつけて歩いております。あれだけの小さな証紙、あの悪い印刷の小さな・・・ 宮本百合子 「幸福について」
・・・複雑なそれらの要素は夜も昼も停止することのない生活の波の上に動いているわけで、私たちはその動きやまない生活の閃光のようにおりおりの幸福感を心の底深くに感じる。だけれども、その感じは大体感覚の本性にしたがって、ある時が経てば消える。 この・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・ 台所へ出てから、二階への梯子があり、二階も縁側があり、入ってすぐが六畳、奥が四畳半。六畳の方に山田のおばあちゃん[自注10]のくれた机をおいて、四畳半へテーブルと、あなたのつかっていらした本棚をおきおさまっている次第です。二階の景色は・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫