・・・さてわずかに二三日を隔てて弥一右衛門は立派に切腹したが、事の当否は措いて、一旦受けた侮辱は容易に消えがたく、誰も弥一右衛門を褒めるものがない。上では弥一右衛門の遺骸を霊屋のかたわらに葬ることを許したのであるから、跡目相続の上にも強いて境界を・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・私はいくらあせってもこの問題を逃避しない限りある「時」が来るまでは自分をどうすることもできないのです。私もまさかこのジメジメした気分を側の者に振りかけなければいられないほど弱くはありません。しかし人の前でそれを少しも顔に出さないでいられるほ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・これらの仏画を眼中に置いて現在の日本画を見れば、その弱さと薄さ、その現実を逃避する卑怯な態度などにおいて、明らかに絵の具の罪よりも画家の罪が認められるのである。色彩のみならず線の引き方においても、リズムの貧弱な、ノッペリとした現在の線は、絵・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・あるいはまた怯懦な知識階級の特色としての現実逃避であるとも見られるであろう。しかしこれらの観照は「悠々たる」観の世界を持つものとは言えない。人が悠々として観る態度を取り得るのは、人間の争いに驚かない不死身な強さを持つからである。著者はシナの・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・――私は自己の内のある者を滅ぼすのが直ちに自己を逃避することになるとは思わない。私は自分の上に降りかかってくるように感じられる運命に対しては、それがいかに苦しいことであっても、勇ましく堪え忍び、それによって自己を培う。しかし事が自分の自由の・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
・・・などと現在のある境遇に反撥心を抱くことは、現実の生に対するふまじめであり、また現実からの逃避である。そこにはもはや自己の改造や成長の望みはない。我々はただ現在の運命を如実に見きわめることによって、多産なる未来の道をきり開く事ができる。時には・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・ 超脱の要求は現実よりの逃避ではなくて現実の征服を目ざしている。現実の外に夢を築こうとするのではなくて現実の底に徹する力強いたじろがない態度を獲得しようとするのである。先生の人格が昇って行く道はここにあった。公正の情熱によって「私」を去・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・ 病苦は号泣や哀訴によってごまかすことはできても、全然逃避し得る性質のものでない。しかし精神的な生の悩みは、露出させる事によってごまかし得るほかに、また全然逃避することもできるのである。 ある内的必然によって意志を緊張させた場合を想・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫