・・・衆徳備り給う処女マリヤに御受胎を告げに来た天使のことを、厩の中の御降誕のことを、御降誕を告げる星を便りに乳香や没薬を捧げに来た、賢い東方の博士たちのことを、メシアの出現を惧れるために、ヘロデ王の殺した童子たちのことを、ヨハネの洗礼を受けられ・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・すでに彼は、「東方」にさえ、その足跡を止めている。大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架を胸に懸けて、パアテル・ノステルを口にした日本を、――貴族の夫人たちが、珊瑚の念珠を爪繰って、毘留善麻利耶の前に跪いた日本を、その彼が訪れなか・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・――あの、実は、今しがた、遠方のお客様から電報が入りまして、この三時十分に動橋へ着きます汽車で、当方へおいでになるッて事だものですから、あとは皆年下の女たちが疲れて寝ていますし……私がお世話を申上げますので。あの、久しぶりで宵に髪を洗いまし・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・「光は東方より」の大精神はすでに彼においてあり、彼は日本主義の先駆者であった。しかも彼のそれは永遠の真理の上に、祖国を築き上げんとする宗教的大日本主義であった。 彼の伝記はすでに数多い。今私がここにそれをそのまま縮写するのみでは役立つこ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・と一方はいったが、それでも一方は信疑相半して、「当方はどうしても頂戴して置きます」と意地張った。そこで唐君兪は遂に真鼎を出して、贋鼎に比べて視せた。双方とも立派なものではあるが、比べて視ると、神彩霊威、もとより真物は世間に二ツとあるべきでな・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・この觀測につきては夙に西人が種々の科學的研究あり、又近く橋本〔増吉〕文學士の研究もあれど、卑見を以てするに、嵎夷、暘谷は東方日出の個所を指し、南交は南方、昧谷は西方日沒の處、朔方は北方を意味し、何れもある格段なる地理的地點を指したるものなり・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・て、私のみに非ず、菊子姉上様も、貴方へのお世話のため、御嫁先の立場も困ることあるべしと存じられ候ところも、むりしての御奉仕ゆえ、本日かぎりよそからの借銭は必ず必ず思いとどまるよう、万やむを得ぬ場合は、当方へ御申越願度く、でき得る限りの御辛抱・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・かならず、厳罰に附し、おわびの万分の一、当方の誠意かっていただきたく、飛行郵便にて、玉稿の書留より一足さきに、額の滝、油汗ふきふき、平身低頭のおわび、以上の如くでございます。なお、寸志おしるしだけにても、御送り申そうかと考えましたが、これ又・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・貴兄にとってはあれが力作かも知れませんが、当方ではあれでは迷惑ですし、あれで原稿料を要求されても困ると思います。いずれ、貴兄に機会があればお詫びするとして取敢えず原稿を御返却いたします。匆々。『秘中の秘』編輯部。」 月のない闇黒の一・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・路傍の小さな草の影もおびただしく長く、東方の丘陵は浮き出すようにはっきりと見える。さびしい悲しい夕暮れは譬え難い一種の影の力をもって迫ってきた。 高粱の絶えたところに来た。忽然、かれはその前に驚くべき長大なる自己の影を見た。肩の銃の影は・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫