・・・公園は之がために年と共に俗了し、今は唯病樹の乱立する間に朽廃した旧時の堂宇と、取残された博覧会の建築物とを見るばかりとなった。わたくしをして言わしむれば、東京市現時の形勢より考えて、上野の公園地は既に狭隘に過ぐる憾がある。現時園内に在る建築・・・ 永井荷風 「上野」
・・・電光が針金の如き白熱の一曲線を空際に閃かすと共に雷鳴は一大破壊の音響を齎して凡ての生物を震撼する。穹窿の如き蒼天は一大玻璃器である。熾烈な日光が之を熱して更に熱する時、冷却せる雨水の注射に因って、一大破裂を来たしたかと想う雷鳴は、ぱりぱりと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされてしもうた。話しかけた男は別に語りつづけようともせぬ。世の中はすべてこれだと疾うから知っている。「御夢の物語りは」とややありて女が聞く。男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげ・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・専門学校が第四高等中学校と改まると共に、四高の学生となったのである。四高では私にも将来の専門を決定すべき時期が来た。そして多くの青年が迷う如く私もこの問題に迷うた。特に数学に入るか哲学に入るかは、私には決し難い問題であった。尊敬していた或先・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐったり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観念に悩まされることが稀れになった。したがって人との応接が楽・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 彼女の肩の辺から、枕の方へかけて、未だ彼女がいくらか、物を食べられる時に嘔吐したらしい汚物が、黒い血痕と共にグチャグチャに散ばっていた。髪毛がそれで固められていた。それに彼女のがねばりついていた。そして、頭部の方からは酸敗した悪臭を放・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・其飲食遊戯の時間は男子が内を外にするの時間にして、即ち醜体百戯、芸妓と共に歌舞伎をも見物し小歌浄瑠璃をも聴き、酔余或は花を弄ぶなど淫れに淫れながら、内の婦人は必ず女大学の範囲中に蟄伏して独り静に留守を守るならんと、敢て自から安心してます/\・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・君が僕と共にしたのは、夜昼とない無意味の対話、同じ人との交際、一人の女を相手にしての偽りの恋に過ぎぬ。共にしたとはいうけれど、譬えば一家の主僕がその家を、輿を、犬を、三度の食事を、鞭を共にしていると変った事はない。一人のためにはその家は喜見・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その後不折君と共に『小日本』に居るようになって毎日位顔を合すので、顔を合すと例の画論を始めて居た。この時も僕は日本画崇拝であったからいう事が皆衝突する。僕が富士山は善い山だろうというと、不折君は俗な山だという。松の木は善い木であろうというと・・・ 正岡子規 「画」
・・・ ルポルタージュの問題と共に、必然的に歴史的諸相の評価の課題が、甦って来ざるを得ないというのは、何と微妙な現実であろう。それに関連する創作方法の問題として、リアリズムの実践も深めなければならなくなって来るのである。 平和が齎されたと・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
出典:青空文庫