・・・所が駈けつけるともう一度、御影の狛犬が並んでいる河岸の空からふわりと来て、青光りのする翅と翅とがもつれ合ったと思う間もなく、蝶は二羽とも風になぐれて、まだ薄明りの残っている電柱の根元で消えたそうです。 ですからその石河岸の前をぶらぶらし・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・…… 湖のなぐれに道を廻ると、松山へ続く畷らしいのは、ほかほかと土が白い。草のもみじを、嫁菜のおくれ咲が彩って、枯蘆に陽が透通る。……その中を、飛交うのは、琅ろうかんのような螽であった。 一つ、別に、この畷を挟んで、大なる潟が湧いた・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・「車夫、車夫ッて、私をお呼びなさりながら、横なぐれにおいでなさいました。」「……夢中だ。よっぽどまいったらしい。素敵に長い、ぐらぐらする橋を渡るんだと思ったっけ。ああ、酔った。しかし可い心持だ。」とぐったり俯向く。「旦那、旦那、・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・(私がついていられると可 と云う中にも、風のなぐれで、すっと黒髪を吹いて、まるで顔が隠れるまで、むらむらと懸る、と黒雲が走るようで、はらりと吹分ける、と月が出たように白い頬が見えたと云う…… けれども、見えもせぬ火事があると、そ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・それには、青木と田島とが、失望の恨みから、事件を誇張したり、捏造したりしたのだろう、僕が機敏に逃げたのなら、僕を呼び寄せた坊主をなぐれという騒ぎになった。僕の妻も危険であったのだが、はじめは何も知らなかったらしい。吉弥を案内として、方々を見・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・みんなは、「なぐれなぐれ。」と言って、巡査をとりかこみました。そのうちに、気の早い男が、大きな大おのをかかえて来て、がちゃん/\と馬車をこわしはじめました。巡査はみんなにつきとばされ、けりつけられて、よろよろしながら、そばの或店の中へに・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
涙ぐみてうるむ瞳を足元に なぐれば小石うち笑みてありかんしやくを起しゝあとの淋しさに 澄む大空をツク/″\と見るものたらぬ頬を舌にてふくらませ 瓦ころがる抜け歯の音きくうすらさむき秋の暮方な・・・ 宮本百合子 「短歌習作」
・・・「何にッ!」 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人はまた一つの塊りになって畳の上へぶっ倒れた。酒が流れた。唐の芋が転がった。「抛り出せ。」「なぐれ。」「やれやれ。」 騒ぎの中に二人の塊・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫