・・・ 叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した。田口一等卒は銃をかざした。が、神妙な彼等を見ると、どうしても銃剣が突き刺せなかった。「ニイ、殺すぞ!」 彼はやむを得ず繰返した。するとそこへ村の方から・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・の両足を遠く空ざまに伸しながら、「二――」と再び喚いた時には、もう冬の青空を鮮に切りぬいて、楽々とその上に上っていた。この丹波先生の滑稽なてれ隠しが、自分たち一同を失笑させたのは無理もない。一瞬間声を呑んだ機械体操場の生徒たちは、鉄棒の上の・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・その婆さんも呆気にとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐のある学者が眉の上に瘤が出来て、痒うてたまらなんだ事があるが、ある日一天俄に掻・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを覚えたばかりですし、妹はようやく板を離れて二、三間泳ぐことが出来るだけなのです。 御覧なさい私たちは見・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・仰向けになって鋼線のような脚を伸したり縮めたりして藻掻く様は命の薄れるもののように見えた。暫くするとしかしそれはまた器用に翅を使って起きかえった。そしてよろよろと草の葉裏に這いよった。そして十四、五分の後にはまた翅をはってうなりを立てながら・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・しかしやがて葡萄の収穫も済みますと、もう冬ごもりのしたくです。朝ごとに河面は霧が濃くなってうす寒くさえ思われる時節となりましたので、気の早い一人の燕がもう帰ろうと言いだすと、他のもそうだと言うのでそろそろ南に向かって旅立ちを始めました。・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ 衝と手を伸して、立花が握りしめた左の拳を解くがごとくに手を添えつつ、「もしもの事がありますと、あの方もお可哀そうに、もう活きてはおられません。あなたを慕って下さるなら、私も御恩がある。そういうあなたが御料簡なら、私が身を棄ててあげ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 留守はただ磯吹く風に藻屑の匂いの、襷かけたる腕に染むが、浜百合の薫より、空燻より、女房には一際床しく、小児を抱いたり、頬摺したり、子守唄うとうたり、つづれさしたり、はりものしたり、松葉で乾物をあぶりもして、寂しく今日を送る習い。 ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・と紅絹切の小耳を細かく、ちょいちょいちょいと伸していう。「ああ号外だ。もう何ともありやしねえや。」「だって、お前さん、そんなことをしちゃまたお腹が悪くなるよ。」「何をよ、そんな事ッて。なあ、姉様、」「甘いものを食べてさ、がり・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・幇間なかまは、大尽客を、獅子に擬え、黒牡丹と題して、金の角の縫いぐるみの牛になって、大広間へ罷出で、馬には狐だから、牛に狸が乗った、滑稽の果は、縫ぐるみを崩すと、幇間同士が血のしたたるビフテキを捧げて出た、獅子の口へ、身を牲にして奉った、と・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
出典:青空文庫