・・・一等室の鶯茶がかった腰掛と、同じ色の窓帷と、そうしてその間に居睡りをしている、山のような白頭の肥大漢と、――ああその堂々たる相貌に、南洲先生の風骨を認めたのは果して自分の見ちがいであったろうか。あすこの電燈は、気のせいか、ここよりも明くない・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・その時ふと鏡を見ると、驚いたことにタウンゼンド氏はいつのまにか美少年に変り、保吉自身は腰の曲った白頭の老人に変っていた。 恥 保吉は教室へ出る前に、必ず教科書の下調べをした。それは月給を貰っているから、出たらめなこと・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ 帳場は妻のさし出す白湯の茶碗を受けはしたがそのまま飲まずに蓆の上に置いた。そしてむずかしい言葉で昨夜の契約書の内容をいい聞かし初めた。小作料は三年ごとに書換えの一反歩二円二十銭である事、滞納には年二割五分の利子を付する事、村税は小作に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・……思え、講釈だと、水戸黄門が竜神の白頭、床几にかかり、奸賊紋太夫を抜打に切って棄てる場所に……伏屋の建具の見えたのは、どうやら寂びた貸席か、出来合の倶楽部などを仮に使った興行らしい。 見た処、大広間、六七十畳、舞台を二十畳ばかりとして・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ああ、娘は、茶碗を白湯に汲みかえて、熊の胆をくれたのである。 私は、じっと視て、そしてのんだ。 栃の餅を包んで差寄せた。「堅くなりましょうけれど、……あの、もう二度とお通りにはなりません。こんな山奥の、おはなしばかり、お土産に。――・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・不義を憎む事蛇蝎よりも甚だしく、悪政暴吏に対しては挺身搏闘して滅ぼさざれば止まなかった沼南は孤高清節を全うした一代の潔士でもありまた闘士でもあった。が、沼南の清節は袍弊袴で怒号した田中正造の操守と違ってかなり有福な贅沢な清貧であった。沼南社・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 年のころは四十ばかり、胡麻白頭の色の黒い頬のこけた面長な男である。 汗じみて色の変わった縮布の洋服を着て脚絆の紺もあせ草鞋もぼろぼろしている。都からの落人でなければこんな風をしてはいない。すなわち上田豊吉である。 二十年ぶりの・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ただ白湯を打かけてザクザク流し込むのだが、それが如何にも美味そうであった。 お源は亭主のこの所為に気を呑れて黙って見ていたが山盛五六杯食って、未だ止めそうもないので呆れもし、可笑くもなり「お前さんそんなにお腹が空いたの」 磯は更・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・梨に二十世紀、桃に白桃水蜜桃ができ、葡萄や覆盆子に見事な改良種の現れたのは、いずれも大正以後であろう。 大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸し、遂に今日の衰亡を招ぐに終・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・いたずらに指を屈して白頭に到るものは、いたずらに茫々たる時に身神を限らるるを恨むに過ぎぬ。日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云われまい。一刻に一刻を加うれば二刻と殖えるのみじゃ。蜀川十様の錦、花を添えて、いくばくの色をか変ぜん。 八畳の・・・ 夏目漱石 「一夜」
出典:青空文庫