はったとものり【八田知紀】
[1799〜1873]幕末・明治の歌人。薩摩 (さつま) 藩士。通称、喜左衛門。号、桃岡。香川景樹の門人。維新後、宮内省歌道御用掛となり、門下に高崎正風らが出た。家集「しのぶ草」など。
はったよいち【八田与一】
[1886〜1942]土木技術者。石川の生まれ。東京帝大を卒業後、台湾総督府の技術者として水利事業に従事。大正9年(1920)から10年を費やして烏山頭 (うさんとう) ダムを中心とする大規模な灌漑 (かんがい) 施設を完成させ、当地の農業発展に寄与した。
はったせん【八田線】
動物地理区の境界線の一。宗谷海峡で東西に引かれる。この線の南北で、両生類・爬虫類 (はちゅうるい) および淡水性無脊椎動物の分布が異なる。明治43年(1910)、動物学者の八田三郎が提唱。宗谷線。
出典:青空文庫
・・・友だちが居てね。……八田なにがし……」「そのお飯粒で蛙を釣って遊・・・ 泉鏡花「古狢」
・・・たりを行くその怪獣は八田義延という巡査なり。渠は明治二十七年十二・・・ 泉鏡花「夜行巡査」
・・・とがあっですよ、あの八田の吉兵エですがね、先月中あなた、山刈と草・・・ 伊藤左千夫「姪子」