・・・さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和の国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉の国、河内の国を始めとして、事によると播磨の国、山城の国、近江の国、丹波の国のあたりまでも、もうこの噂が一円にひろまってい・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・たとえば、大工が普請するとき、柱の順番を附くるに、梁間の方、三尺毎にいろはの印を付け、桁行の方、三尺毎に一二三を記し、いの三番、ろの八番などいうて、普請の仕組もできるものなり。大工のみにかぎらず、無尽講のくじ、寄せ芝居の桟敷、下足番の木札等・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・壮年に及びて弥五右衛門景一と名告り、母の族なる播磨国の人佐野官十郎方に寄居いたしおり候。さてその縁故をもって赤松左兵衛督殿に仕え、天正九年千石を給わり候。十三年四月赤松殿阿波国を併せ領せられ候に及びて、景一は三百石を加増せられ、阿波郡代とな・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
播磨国飾東郡姫路の城主酒井雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋には、いつも侍が二人ずつ泊ることになっていた。然るに天保四年癸巳の歳十二月二十六日の卯の刻過の事である。当年五十五歳になる、大金奉行山本・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫