・・・ と一処に団まるから、どの店も敷物の色ばかりで、枯野に乾した襁褓の光景、七星の天暗くして、幹枝盤上に霜深し。 まだ突立ったままで、誰も人の立たぬ店の寂しい灯先に、長煙草を、と横に取って細いぼろ切れを引掛けて、のろのろと取ったり引いた・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・烈風、衣服はおろか、骨も千切れよ、と私たち二人の身のまわりを吹き荒ぶ思い、見ゆるは、おたがいの青いマスク、ほかは万丈の黄塵に呑まれて一物もなし。この暴風に抗して、よろめきよろめき、卓を押しのけ、手を握り、腕を掴み、胴を抱いた。抱き合った。二・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ただ、もやもや黒煙万丈で、羞恥、後悔など、そんな生ぬるいものではなかった。笠井さんは、このまま死んだふりをしていたかった。「幾時の汽車で、お発ちなのかしら。」ゆきさんは、流石に落ちつきを取りもどし、何事もなかったように、すぐ言葉をつづけ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・誰か人心に定法なしという、同じ盤上に、同じ球を、同じ方向に突けば、同一の行路をたどるごとくに、余の心は君の心の如くに動いたのである。 回顧すれば、余の十四歳の頃であった、余は幼時最も親しかった余の姉を失うたことがある、余はその時生来始め・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・そしてやおらその手を銀盤の方へ差し伸べた。盤上には数通の書簡がおとなしく待っていたのである。 ピエエルは郵便を選り分けた。そしてイソダン郵便局の消印のある一通を忙わしく選り出して別にした。しかしすぐに開けて読もうともしない。 オオビ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫