・・・「ひょっとしたら私の病気にでもきくというのでだれかが送ってくれたのじゃないかしら、煎じてでも飲めというのじゃないかしら」こんな事も考えてみたりした。長い頑固な病気を持てあましている堅吉は、自分の身辺に起こるあらゆる出来事を知らず知らず自・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・しかし、グリーンホテルを緑屋などと訳してみた覚えは全然ないのであるが、いつか一度ぐらいひょっとそんな事を考えてそれきり忘れていたのが夢という現象の不思議な機巧によって忘却の闇の奥から幻像の映写幕の上に引き出されたのではないか、そうとでも考え・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・もっとも林君もたっしゃでいてくれればもうお父さんになってる筈だから、ひょっとすればその林君の子供が、この読者にまじっていて、昔の茂少年とそっくりに頬っぺたブラさげてこの話を読んでいるかも知れない。もしかそうだったらどんなに嬉しいだろう。・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ その隣は仮面をこしらえる家で、店の前の日向に、狐の面や、ひょっとこの面がいくつも干してある。四十余りのかみさんは店さきに横向に坐っていそがしそうに面を塗って居る。 突きあたって右へ行く。二階の屋根に一面に薺の生えて居る家がある。・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・丘の途中の小さな段を一つ越えて、ひょっと上の栗の木を見ますと、たしかにあの赤髪の鼠色のマントを着た変な子が草に足を投げ出して、だまって空を見上げているのです。今日こそ全く間違いありません。たけにぐさは栗の木の左の方でかすかにゆれ、栗の木のか・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・丁度、楢ノ木大学士というものが、おれのどなりをひょっと聞いて、びっくりして頭をふらふら、ゆすぶったようにだ。ハッハッハ。山も海もみんな濃い灰に埋まってしまう。平らな運動場のようになってしまう。その熱い灰の上でばかり、おれたちの魂は舞踏し・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・二つの波紋がひょっと触り合って、とけ合って、一緒に前より大きくひろがって行く。水の独楽、音のしない独楽。一心に眺め入っている子供の心はひき込まれ、波紋と一緒にぼうっとひろがる。何処かわからないところへいい気持ちにひろがって行ってしまう。――・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・その家も南向きで、こちらも南があいているから、ひょっとした折、元の家の二階の裏側の一部を眺める工合になっている。そこには目じるしのように一本のヒマラヤ松が聳えている。 その家に住む前には、同じ高台のつづきではあるがもっとずっと女子大より・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・貸すなという掟のある宿を借りて、ひょっと宿主に難儀をかけようかと、それが気がかりでございますが、わたくしはともかくも、子供らに温いお粥でも食べさせて、屋根の下に休ませることが出来ましたら、そのご恩はのちの世までも忘れますまい」 山岡大夫・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・どうもそうは思われない。ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つつじつまの合わぬことばや挙動がない。この男はどうしたのだろう。庄兵衛がためには喜助の態度が考えれば考えるほどわからなくなるのである。 ・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫