・・・ことさらに富貴の人を嫌うて、貧賤を友とする者を見ず。その富貴上流の人に交るや、必ずしも彼の富貴を取りて我に利するに非ざれども、おのずからこれに接して快きものあればなり。なお俗間の婦女子が俳優を悦び、男子が芸妓を愛するが如し。そのこれを愛する・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・この一区に一所の小学校を設け、区内の貧富貴賤を問わず、男女生れて七、八歳より十三、四歳にいたる者は、皆、来りて教を受くるを許す。 学校の内を二に分ち、男女ところを異にして手習せり。すなわち学生の私席なり。別に一区の講堂ありて、読書・数学・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・この一区に一所の小学校を設け、区内の貧富貴賤を問わず、男女生れて七、八歳より十三、四歳にいたる者は、皆、来りて教を受くるを許す。 学校の内を二に分ち、男女ところを異にして手習せり。すなわち学生の私席なり。別に一区の講堂ありて、読書・数学・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・本著発表の由縁を知るに足るべきを以て茲に附記することゝせり。 明治三十二年九月時事新報記者 識 福沢先生の女学論発表の次第 時事新報の紙上に順次掲載しつゝある福沢先生の女大学評論は、昨日にて既に第五回・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・一 小児養育は婦人の専任なれば、仮令い富貴の身分にても天然の約束に従て自から乳を授く可し。或は自身の病気又は衛生上の差支より乳母を雇うことあるも、朝夕の注意は決して怠る可らず。既に哺乳の時を過ぎて後も、子供の飲食衣服に心を用いて些細の事・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・一 小児養育は婦人の専任なれば、仮令い富貴の身分にても天然の約束に従て自から乳を授く可し。或は自身の病気又は衛生上の差支より乳母を雇うことあるも、朝夕の注意は決して怠る可らず。既に哺乳の時を過ぎて後も、子供の飲食衣服に心を用いて些細の事・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男に帰し、長少の序も紊れざるが如くに見えしものが、近年にいたりてはいわゆる腕前の世となり、才力さえあれば立身出世勝手次第にして、長兄愚にして貧なれば、阿弟の智にして富貴なる者に軽侮せられざるをえず。ただに・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・無知無徳の下等社会はともかくも、上流の富貴または学者と称する部分においても、言うに忍びざるもの多し。人間の大事、社会の体面のためと思えばこそ、敢えてこれを明言する者なけれども、その実は万物の霊たるを忘れて単に獣慾の奴隷たる者さえなきにあらず・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・三千年前の項羽を以て今日の榎本氏を責るはほとんど無稽なるに似たれども、万古不変は人生の心情にして、氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりといえども、時に顧みて箱館の旧を思い、当時随行部下の諸士が戦没し負傷したる惨状より、爾来家に残りし父・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・竹の里人付記〔『日本』明治三十二年四月二十三日〕 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫