・・・すなわち、三分ぐらいの符合では偶然だか、偶然でないかわからない事になる。 以上はもちろんかなりいろいろな無理な仮定のもとに行なった計算である。これを逐次修正して言語学者の要求に応ずるように近づけて行くことは必ずしも困難ではないが、ここで・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・イタリアの地名のようだと思った事があるからそのせいだか、あるいはこの符号のついた本を比較的に多く買ったためだか、とにかくこのアンカナの四字が丸善その物の象徴のように自分の脳髄のすみのほうに刻みつけられている。 昔の丸善の旧式なお店ふうの・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ この符合は多分偶然かもしれないが、しかしもしかしたら、以前に類似のお獅子をどこかで見たその記憶が意識の底に残留していたかもしれないという可能性を否定することも困難である。 それにしても魔術師ないしセリストと麻束との関係はやはり分ら・・・ 寺田寅彦 「夢判断」
・・・昔から持ち続いた港の富豪の妾宅なぞがそこにあった。「あれはどうしたかね、彦田は」「ああすっかり零落れてしまいました。今は京都でお茶の師匠をしているそうですが……」 道太は辰之助からその家にあった骨董品の話などを聞きながら、崖の下・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・あたかも明治の初年日本の人々が皆感激の高調に上って、解脱又解脱、狂気のごとく自己を擲ったごとく、我々の世界もいつか王者その冠を投出し、富豪その金庫を投出し、戦士その剣を投出し、智愚強弱一切の差別を忘れて、青天白日の下に抱擁握手抃舞する刹那は・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・書画骨董と称する古美術品の優秀清雅と、それを愛好するとか称する現代紳士富豪の思想及生活とを比較すれば、誰れか唖然たらざるを得んや。しかして茲に更に一層唖然たらざるを得ざるは新しき芸術新しき文学を唱うる若き近世人の立居振舞であろう。彼らは口に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 木場の町にはむかしのままの堀割が残っているが、西洋文字の符号をつけた亜米利加松の山積せられたのを見ては、今日誰かこの処を、「伏見に似たり桃の花」というものがあろう。モーターボートの響を耳にしては、「橋台に菜の花さけり」といわれた渡場を・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・これは柳北が『花月新誌』に言うところと全く符合している。明治十年五月の『花月新誌』載する所の「詰二上遊客一文」に曰く、「ソレ我ガ上ノ桜花ヲ以テ鳴ルヤ久シ。故ニ花候ニ当テハ輪蹄陸続トシテ文士雅流俗子婦女ノ別ナク麕集シ蟻列シ、繽紛狼藉人ヲシテ大・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・探偵だって家へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢くらい眺める風流心はあるかも知れない。しかしながら探偵が探偵として職務にかかったら、た・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・親類の間柄だろう。親類付合のある南瓜の句を糸瓜仏に奉納するのに別段の不思議もない筈だ。そこで序ながら此句も霊前に献上する事にした。子規は今どこにどうして居るか知らない。恐らくは据えるべき尻がないので落付をとる機械に窮しているだろう。余は未だ・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
出典:青空文庫