・・・が、大きい橡の木が一本、太ぶとと枝を張った下へ来ると、幸いにも放牧の牛が一匹、河童の往く先へ立ちふさがりました。しかもそれは角の太い、目を血走らせた牡牛なのです。河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴をあげながら、ひときわ高い熊笹の中へもんどりを・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。あの喇叭に似ているのもやはり法螺貝と云うのであろうか? この砂の中に隠れているのは浅蜊と云う貝に違いない。…… 保吉の享楽は壮大だった。けれどもこう云う享楽の中にも多少の寂しさのなかった訣ではない・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・成程一本のマッチの火は海松ふさや心太艸の散らかった中にさまざまの貝殻を照らし出していた。O君はその火が消えてしまうと、又新たにマッチを摺り、そろそろ浪打ち際を歩いて行った。「やあ、気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った。」 それは半・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・それからオオル・バックにした髪の毛も房ふさしていたのに違いなかった。わたしはこのモデルにも満足し、彼女を籐椅子の上へ坐らせて見た後、早速仕事にとりかかることにした。裸になった彼女は花束の代りに英字新聞のしごいたのを持ち、ちょっと両足を組み合・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・彼れの気分にふさわない重苦しさが漲って、運送店の店先に較べては何から何まで便所のように穢かった。彼は黙ったままで唾をはき捨てながら馬の始末をするとすぐまた外に出た。雨は膚まで沁み徹ってぞくぞく寒かった。彼れの癇癪は更らにつのった。彼れはすた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・る為めに、お前たちに最大の愛を遺すために、私を加減なしに理解する為めに、私は母上を病魔から救う為めに、自分に迫る運命を男らしく肩に担い上げるために、お前たちは不思議な運命から自分を解放するために、身にふさわない境遇の中に自分をはめ込むために・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・この花も五月闇のなかにふさわなくはないものだと思いました。然しなんと云っても堪らないのは梅雨期です。雨が続くと私の部屋には湿気が充満します。窓ぎわなどが濡れてしまっているのを見たりすると全く憂鬱になりました。変に腹が立って来るのです。空はた・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・「この港は佐伯町にふさわしかるべし。見たまうごとく家という家いくばくありや、人数は二十にも足らざるべく、淋しさはいつも今宵のごとし。されど源叔父が家一軒ただこの磯に立ちしその以前の寂しさを想いたまえ。彼が家の横なる松、今は幅広き道路のか・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 七 蒙古来寇の予言 日蓮はさきに立正安国論において、他国侵逼難を予言して幕府当局をいましめ、一笑にふされていたが、この予言はあたって文永五年正月蒙古の使者が国書をもたらして幕府をおどかした。「日蓮が去ぬる文応元・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・私塾と云えばいずれ規模の大きいのは無いのですが、それらの塾は実に小規模のもので、学舎というよりむしろただの家といった方が適当な位のものでして、先生は一人、先生を輔佐して塾中の雑事を整理して諸種の便宜を生徒等に受けさせる塾監みたような世話焼が・・・ 幸田露伴 「学生時代」
出典:青空文庫