・・・見渡す限り平坦なようであるが、全体が海抜幾メートルかの高台になっている事は、ところどころにくぼんだ谷があるので始めてわかる。そういう谷の所にはきまって松や雑木の林がある。この谷の遠く開けて行くさきには大河のある事を思わせる。畑の中に点々と碁・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・の静物の平淡な味を好む。少しのあぶなげもない。 横井礼市。 この人の絵はうるさいところがなくてよい。涼しい感じがある。この人の絵の態度は行きつまらない。どこまでも延びうると思う。 湯浅一郎。 巧拙にかかわらず一人の個人の歌集がおもし・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・両岸は目の届く限り平坦で、どこにも山らしいものは見えない。 シナ人の乞食が小船でやって来て長い竿の先に網を付けたのを甲板へさし出す。小船の苫屋根は竹で編んだ円頂で黒くすすけている。艫に大きな飯たき釜をすえ、たきたての飯を櫃につめているの・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・庭の平坦な部分のまん中にそれが旗ざおのように立っているのがどうも少し唐突なように思われたが、しかし植物をまるで動物と同じように思って愛護した父は、それを切ることはもちろん移植しようともしなかったのであった。しかし父の死後に家族全部が東京へ引・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・たとえばガラス板を平坦な台の上に置いて上から鉄の球を落として放射線形の割れ目を生ずるという場合に、板の厚さや、球の重量や落下の高さを一定にしてみても、生ずる割れ目の線の数や長さは千差万別であってなかなか一定しない。多数の実験を繰り返せば統計・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・ 以上のごとき立場から見てこれと反対な位置にあるものは、色々の事実や事件の平坦な叙述的描写を主調とした作物、例えば物語や写生文のごときものであろう。そこでは少なくも作者は黒幕の後ろに隠れて、舞台の上では事実をして事実を語らしめ、物をして・・・ 寺田寅彦 「文学の中の科学的要素」
・・・この死市街の南から東へかけた平坦な砂漠の水準測量をやった結果、これが昔の湖水の跡だということが推論された。それでヘディンは、タリムの下流は約千五百年の週期で振り子のように南北に振動し変位し従って振り子の球に当たるロプ・ノールも南北に転位する・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
・・・其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツテ名ヲ得タリ。祠ハ即根津神社ナリ。祠宇壮麗。祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ、林泉ノ勝ニ名アリ。丘陵苑池、樹石花草巧ニ景致ヲ成ス。而シテ園中桜樹躑躅最多ク、亦自ラ遊観行楽ノ一・・・ 永井荷風 「上野」
・・・家の前方平坦なる園の中央は、枯れた梅樹の伐除かれた後朽廃した四阿の残っている外には何物もない。中井碩翁が邸址から移し来ったという石の井筒も打棄てられたまま、其来歴を示した札の文字も雨に汚れて読難くなっている。それより池のほとりに至るまで広袤・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・老と病とは人生に倦みつかれた卑怯者を徐々に死の門に至らしめる平坦なる道であろう。天地自然の理法は頗妙である。コノ稿ハ昭和七年三月三十日正宗白鳥君ノ論文ヲ読ミ燈下匆々筆ヲ走ラセタ。ワガ旧作執筆ノ年代ニハ記憶ノ誤ガアルカモ知レナイ。好事・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫