・・・ と河童は水掻のある片手で、鼻の下を、べろべろと擦っていった。「おおよそ御合点と見うけたてまつる。赤沼の三郎、仕返しは、どの様に望むかの。まさかに、生命を奪ろうとは思うまい。厳しゅうて笛吹は眇、女どもは片耳殺ぐか、鼻を削るか、蹇、跛・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・嗅ぐさ、お前さん、べろべろと舐める。目から蝋燭の涙を垂らして、鼻へ伝わらせて、口へ垂らすと、せいせい肩で呼吸をする内に、ぶるぶると五体を震わす、と思うとね、横倒れになったんだ。さあ、七顛八倒、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺り廻る……炎・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・……血の気の多い漁師です、癪に触ったから、当り前よ、と若いのが言うと、(人間の食うほどは俺と言いますとな、両手で一掴みにしてべろべろと頬張りました。頬張るあとから、取っては食い、掴んでは食うほどに、あなた、だんだん腹這いにぐにゃぐにゃと首を・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 口のあたりが、びくりと動き、苔の青い舌を長く吐いて、見よ見よ、べろべろと舐め下ろすと、湯葉は、ずり下り、めくれ下り、黒い目金と、耳までのマスクで、口が開いた、その白い顔は、湯葉一枚を二倍にして、土間の真中に大きい。 同時に、蛇のよ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 可笑しいことには、古来の屋根の一型式に従ってこけら葺の上に石ころを並べたのは案外平気でいるそのすぐ隣に、当世風のトタン葺や、油布張の屋根がべろべろに剥がれて醜骸を曝しているのであった。 甲州路へかけても到る処の古い村落はほとんど無・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・すると店にはうすぐろいとのさまがえるが、のっそりとすわって退くつそうにひとりでべろべろ舌を出して遊んでいましたが、みんなの来たのを見て途方もないいい声で云いました。「へい、いらっしゃい。みなさん。一寸おやすみなさい。」「なんですか。・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・ところが入口から三本目の若い柏の木は、ちょうど片脚をあげておどりのまねをはじめるところでしたが二人の来たのを見てまるでびっくりして、それからひどくはずかしがって、あげた片脚の膝を、間がわるそうにべろべろ嘗めながら、横目でじっと二人の通りすぎ・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ 二疋の雪狼が、べろべろまっ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいていました。こいつらは人の眼には見えないのですが、一ぺん風に狂い出すと、台地のはずれの雪の上から、すぐぼやぼやの雪雲をふんで、空をかけまわりもする・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとっておしまいぽかぽか撲りあったりしていることはたしかだ。熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから捕ったのだ。 淵沢小十郎はすがめの赭黒いごりごりした・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・そこで彼は三昼夜べろべろにのんだくれ、その結果として、バタ工場に属す馬をどっかへなくしてしまった。グロデーエフは三頭馬をもっている。以前グロデーエフは何人か小作人をもっていた。現在十九歳の小作人ニコライ・クリコフを使っている。 ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
出典:青空文庫